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CMソングの日(9月7日 記念日)とは?日本初のラジオCMソングの誕生秘話と広告革命

CMソングの日を祝うカラフルなペーパーアート。音楽ノートや花々、ラジオをモチーフにし、記念日を楽しく表現。
目次

CMソングの日(9月7日 記念日)はどんな日?

✅ 1951年に日本で初めてCMソングがラジオで放送された日。
✅ 商品名や社名を一切出さない革新的なCMソングが話題に。
✅ 三木鶏郎、灰田勝彦、小西六写真工業(現コニカミノルタ)が関わった。

広告を“歌”にするなんて誰が考えた?驚きのスタート地点

「CMソングの日」と聞いて、パッと何かのメロディーが頭に浮かんだ人も多いのではないでしょうか?

たとえば、「ポンジュース!」や「カステラ一番、電話は二番」など、日本のCMソングは多くの人々の心に焼きついています。

しかし、その原点がいつ、どのように誕生したのかを知っている人は、案外少ないかもしれません。

1951年(昭和26年)9月7日――

この日、ラジオから流れたたった1曲の歌が、日本の広告業界に衝撃を与えました。

その名は「ボクはアマチュアカメラマン」。

作詞・作曲は三木鶏郎。

歌ったのは、人気歌手でありウクレレ奏者の灰田勝彦。

スポンサーは、小西六写真工業株式会社(現在のコニカミノルタ株式会社)です。

しかし不思議なことに、この歌には企業名も商品名も出てこない。

広告でありながら、広告の顔をしていない――。

まさに“革命”とも言える一曲でした。

CMソングの日の由来:たった30分の番組から始まった“音楽広告革命”

民間ラジオ放送がスタートしたのは1951年9月1日。

それまではNHKの独壇場だった放送業界に、新しい風が吹き始めたばかりの頃です。

その6日後、1951年9月7日。

中部日本放送(CBC)と新日本放送(NJB)で、30分の番組が放送されました。

この番組枠を購入したのが、小西六写真工業株式会社。

「さくらフイルム」の宣伝を目的にしたものでした。

しかし、ただの広告番組では終わらなかったのです。

小西六側は、放送第一声を飾るにふさわしい“特別な表現”を求め、当時人気絶頂だった三木鶏郎に番組制作を依頼。

三木はこう考えました。

「NHKではできない、民放だからこそできる表現とは何か?」

その答えが、「CMソング」という新たな広告表現。

そして、誕生したのが「ボクはアマチュアカメラマン」だったのです。

CMソングなのに企業名ナシ?意図的に“宣伝”を隠した理由

ここで不思議に思うのが、「なぜCMソングなのに、企業名や商品名を一切出さなかったのか?」という点。

これは、三木鶏郎の広告哲学に基づくものでした。

彼の考えはシンプルです。

「商品名を連呼しても、聞き手の心には届かない」

むしろ、企業名を押し出さずに、生活者の共感を呼ぶストーリーや感情を優先することで、逆に深い印象を与えることができると信じていたのです。

事実、「ボクはアマチュアカメラマン」は、カメラや写真を愛する人たちの気持ちを歌い上げ、多くのリスナーに“自分のことだ”と思わせるような歌詞構成になっています。

つまり、商品を売るのではなく、体験や価値観を共有する

これはまさに、現代の「ブランデッドコンテンツ」や「ストーリーテリング広告」の走りとも言えるでしょう。

CMソングの日を彩った登場人物と企業の深掘りプロフィール

🎼 三木鶏郎(みき とりろう)―広告の常識を覆した異端の天才

三木鶏郎(1914〜1994年)は、作詞家・作曲家としてだけでなく、放送作家、コピーライター、さらにはプロデューサーとしても才能を発揮した日本放送界の先駆者です。

彼の創作スタイルは、ユーモアと風刺、そして人情が絶妙に織り交ぜられているのが特徴。

NHKではお堅く真面目な音楽が主流だった時代に、民放の自由な空気を利用して“広告をエンタメ化”するという斬新な手法を打ち出しました。

その代表作が、まさに「ボクはアマチュアカメラマン」なのです。

このCMソングは、広告でありながら一つの音楽作品として成立しており、「記憶に残る広告」の新しいモデルケースとなりました。

三木はこの成功をきっかけに、その後も数々のヒットCMソングを生み出し、「CMの父」とも呼ばれるようになります。

🎤 灰田勝彦(はいだ かつひこ)―ウクレレと笑顔で国民を魅了したスター歌手

灰田勝彦(1911〜1982年)は、昭和の日本を代表する歌手であり、ウクレレ奏者。

その甘いマスクと、優しく軽やかな歌声で人気を博し、NHK紅白歌合戦にも6回出場しています。

彼の歌声は、硬派なニュースや厳格な音楽番組が多かった当時のラジオ界において、癒しと親しみをもたらす存在でした。

「ボクはアマチュアカメラマン」の中でも、まるでカメラを持って休日を楽しむ青年のような、軽快で遊び心あふれるトーンで歌い上げています。

灰田の起用は、「誰もが口ずさめる親しみやすさ」を求めた三木鶏郎の意図とぴったり一致したものでした。

🏢 小西六写真工業株式会社(現:コニカミノルタ)―冒険を恐れなかった“広告主”

「さくらフイルム」のメーカーとして知られる小西六写真工業株式会社(現:コニカミノルタ)は、当時としてはかなり先進的な広告戦略を採用していました。

ただ番組を“買う”のではなく、“文化を発信する”という姿勢。

それが、「商品名なしのCMソング」に予算を出したという判断に表れています。

企業としてのブランディングを長期的に見据え、「消費者の記憶に残る何か」を作ろうとしていたこの企業の姿勢は、まさに現代マーケティングの先駆け。

このような柔軟で大胆な企業マインドがあったからこそ、日本初のCMソングが実現したのです。

CMソングの日に関するよくある質問

Q1:CMソングの日が9月7日なのはなぜ?
A1:1951年9月7日に、日本で初めてCMソングを使ったラジオCMが放送された日だからです。

Q2:CMソングって商品名が入ってないと意味ないのでは?
A2:三木鶏郎はあえて企業名や商品名を出さず、共感を得ることで記憶に残す手法を選びました。逆に、それが深い印象を残すことに成功しました。

Q3:CMソングの日に関連する他の記念日はありますか?
A3:あります。たとえば、9月1日は「民放ラジオ放送開始記念日」、8月28日は「テレビCMの日」とされています。

CMソングの日まとめ:広告の未来は「記憶に残る音」にある

CMソングの日(9月7日)は、単なる広告手法の誕生を記念する日ではありません。

それは、「広告のあるべき姿とは何か?」という本質的な問いを投げかける日でもあります。

三木鶏郎が手がけた「ボクはアマチュアカメラマン」は、ただ商品を宣伝するのではなく、人々の感情に寄り添い、暮らしの中に溶け込む広告を実現しました。

そこには、広告主・小西六写真工業の大胆な挑戦と、歌い手・灰田勝彦の親しみやすいパフォーマンスが見事に融合しています。

現代のCMでも、印象的なメロディや歌詞がブランドイメージを形作る重要な要素となっていますが、そのルーツはまさにここにあります。

ラジオから音楽が流れ、リスナーがふと立ち止まる。

耳に残ったメロディが、無意識のうちに商品や企業のイメージと結びついていく。

それこそが「CMソングの力」。

CMソングの日は、その力が初めて証明された日なのです。

この日をきっかけに、広告やメディアに対する見方が少し変わるかもしれません。

「聞いて心に残る広告」――

そんな原点に、もう一度立ち返ってみませんか?

今日は何の日(9月7日は何の日)

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