日本標準時制定記念日はどんな日?
朝、目覚まし時計が鳴って起きた瞬間。
電車に乗るとき、テレビ番組をチェックするとき、待ち合わせをするとき。
私たちは日常のあらゆる場面で「時間」に従って行動しています。
でも、その「時間」って、どうやって決まったのでしょうか?
そして、なぜ私たちは北海道でも沖縄でも、同じ時刻を使っているのでしょうか?
その答えが詰まっているのが、7月13日の「日本標準時制定記念日」です。
1886年(明治19年)のこの日、日本政府は正式に「日本の標準時子午線は東経135度とする」と定めました。
この東経135度の線は、兵庫県明石市のど真ん中を通っています。
つまり、明石市は“日本の時間の基準点”=「日本の時間のふるさと」なのです。
今回は、この「日本標準時制定記念日」が生まれた背景、そこに秘められた科学と歴史、そして日常とどうつながっているのかを深掘りします。
「時間」って、こんなに面白くて深い世界だったのか!と思えること間違いなし。
ぜひ最後までお楽しみください。
✅日本時間の始まりを祝う記念日
✅東経135度=日本の時間の基準線
✅明石市は日本の“時間のふるさと”
日本標準時制定記念日の由来とは?明治時代の“時の革命”を追う
1886年(明治19年)7月13日、日本にとって画期的な勅令が公布されました。
その名も、「本初子午線経度計算方及標準時ノ件」。
これにより、兵庫県明石市を通る「東経135度」の子午線が、日本全国の“基準の時間”として定められたのです。
ではなぜ、このような制度が必要だったのでしょうか?
時間がバラバラだった「地方時代」
明治時代の初めまで、日本には「標準時」という考え方は存在しませんでした。
各地で「地方時」と呼ばれる独自の時刻を使っていたため、東京と大阪、長崎ではそれぞれ数分から十数分のずれが生じていたのです。
たとえば、東京の正午が12時ちょうどでも、大阪では11時43分くらいだった、という具合です。
これは太陽の動きをもとに、各地で“太陽が最も高くなる時間=正午”としていたため。
今の感覚からすると驚きですが、これが当たり前だった時代がありました。
世界の標準時間がグリニッジから始まった
ところが、時代は世界規模の交流へと動き始めます。
1884年、アメリカのワシントンD.C.で「国際子午線会議」が開かれ、世界各国が一堂に会して“世界の時間の基準”を定めることになりました。
その結果、イギリスのグリニッジ天文台を通る子午線(経度0度)が、「本初子午線」として採択されます。
この決定を受け、日本も国際社会の一員として「標準時」を導入する必要が出てきたのです。
東経135度が選ばれた理由
標準時に選ばれた「東経135度」。
これには明確な理由があります。
地球は360度の球体。
それを1日(24時間)で割ると、15度ごとに1時間の時差が生じることになります。
つまり、135 ÷ 15 = 9。
グリニッジ(経度0度)からちょうど9時間進んでいる地点が、東経135度というわけです。
もし東京を基準にした場合、東経140度で9時間20分進んでしまい、国際的に不都合が生じるため、あえて「計算しやすい数字」が選ばれたのです。
日本標準時制定記念日にまつわる豆知識3選!「時間ってこんなに奥深い」
1. 明石市には「日本標準時」を感じられるスポットがある
兵庫県明石市には、「日本標準時子午線」が地面を横切るように通っています。
この子午線を体感できるのが、「明石市立天文科学館」。
建物の真下を東経135度の線が通り、正午の太陽が真上に来る瞬間を体験できる貴重なスポットです。
ここでは、子午線の上をまたいで写真を撮ったり、日本標準時の正確な時報を聞いたりと、“時間”を体験できる工夫が盛りだくさんです。
2. 昔の時刻表は2種類あった!?
実は標準時導入直後、日本には「中央標準時(東経135度)」と「西部標準時(東経120度)」の2つの時間が存在していました。
これは、当時台湾や朝鮮半島などを統治していた背景から、それらの地域との時差を考慮してのことでした。
現在は中央標準時(日本標準時)に統一されていますが、過去には“2つの時間”が混在していた時代もあったのです。
3. 「時刻表」や「鉄道」の発展と標準時はセットだった
鉄道が発達することで、より正確な時刻管理が求められるようになります。
列車の発車・到着を地方時に合わせていたら、全国的な運行ダイヤの管理ができません。
そこで標準時の導入は、鉄道の発展を支えるインフラとしても極めて重要だったのです。
「標準時がなければ、今の新幹線の正確性もありえなかった」と言っても過言ではありません。
日本標準時制定記念日にゆかりのある人物・施設とは?“時間の価値”を築いた人々と場所
渋沢栄一と時間のインフラ
「日本資本主義の父」とも称される渋沢栄一。
彼は時間を可視化し、正確に共有することが、社会や経済の土台になることを理解していました。
郵便、銀行、鉄道、電信──それらを確実に機能させるには、「みんなが同じ時間を使う」ことが不可欠。
標準時の導入は、まさに渋沢が夢見た「近代国家の基盤」だったのです。
渋沢本人がこの勅令を出したわけではありませんが、彼が推進した社会制度の数々が、「日本標準時制定」の後押しとなりました。
明石市立天文科学館 ― “時間を感じる”日本唯一の場所
兵庫県明石市にある「明石市立天文科学館」は、日本で唯一、標準時をテーマとする科学館です。
高さ54メートルの天文台からは、明石海峡や淡路島を一望でき、その足元には子午線モニュメントが走ります。
建物内には東経135度の子午線を示すプレートが埋め込まれ、訪れた人は「自分が今、日本の時間の上に立っている」という実感を得られます。
まさに「体験型・時間の博物館」と呼ぶにふさわしい施設です。
日本標準時制定記念日に関するよくある質問(3問)
Q1. なぜ日本標準時は東京ではなく明石なの?
A. 東経135度がグリニッジ標準時からちょうど9時間進んでいるからです。東京は東経140度で中途半端な「9時間20分」進むことになり、国際的な計算に不便だからです。
Q2. 明石市以外で日本標準時を感じられる場所は?
A. 代表的なのは「明石市立天文科学館」ですが、全国の電波時計や携帯電話が受信している「標準電波」は、福島県のおおたかどや山送信所からも送られています。
Q3. 日本以外でユニークな標準時を採用している国は?
A. インド(UTC+5:30)やネパール(UTC+5:45)のように、30分・15分単位で設定されている国もあります。オーストラリアは州によって標準時が異なります。
日本標準時制定記念日のまとめ ― 時間に“感謝”したくなる日
朝、誰かと「おはよう」と言えるのは、同じ時間を生きているから。
夜、遠くの友達にLINEを送れるのは、「いま何時か」が全国で共通だから。
そんな「当たり前」を支えているのが、日本標準時。
そして、その出発点が「日本標準時制定記念日」であり、兵庫県明石市という場所なのです。
時間は目に見えない。
でも、その背後には、私たちの生活を支える工夫と知恵、そして国際的な取り決めが詰まっています。
この日、あなたも時計を見ながら少しだけ「時間の意味」に想いを馳せてみませんか?
その他の記念日(7月13日)
・盆迎え火
・生命尊重の日
・ナイスの日
・もつ焼の日
・オカルト記念日
・水上バイクの日
・イーサン・ハントの日
・ナイススティックの日
・ふくしま桃の日
・一汁三菜の日
・石井スポーツグループ 登山の日
・お父さんの日
・艸心忌
・虚空蔵の縁日
