コッペパンの日はどんな日?
✅ 丸十の十から毎月10日
✅ 田辺玄平が広めた酵母パン
✅ 全日本丸十パン商工業協同組合
コッペパンの日は、毎月10日に訪れる、丸十パンの歴史とふっくらしたパン文化を思い出す記念日です。
制定したのは、全日本丸十パン商工業協同組合。
日本で初めてイーストによる製パン法を開発したとされる田辺玄平翁を始祖とする団体です。田辺玄平翁は1910年にアメリカから帰国し、1913年に東京下谷黒門町で食パン製造工場を創設しました。
毎月10日になった理由は、丸十の「十」にちなんだものです。
2013年は、田辺玄平翁が東京で創業してから100周年にあたる年でした。その節目に、丸十のコッペパンを家庭の食卓や地域のパン屋へ伝えていく意味を込めて制定されました。記念日は、一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されています。
コッペパンの日の由来は丸十の「十」と100年の歩みにあります
コッペパンの日の由来は、丸十の名前にある「十」と、田辺玄平翁が築いた製パン技術の歴史にあります。
毎月10日という日付は、丸十の「十」をそのまま記念日に重ねたもの。
1年に1回ではなく、毎月めぐってくるところに、日々の食卓に寄り添うコッペパンらしさがあります。
コッペパンは、豪華な飾りで目を引くパンではありません。
けれど、給食の袋を開けたときの香りや、揚げパンの砂糖が指についた記憶と結びつきやすいパンです。
毎月10日という身近な日付には、そうした懐かしさを月に1度思い出してほしいという温かさがにじんでいます。
田辺玄平翁は、アメリカでパンづくりを学びました。
1910年、明治43年に帰国したあと、私財を投じてドライイーストの研究に取り組みます。
1913年、大正2年には東京下谷黒門町に食パン製造工場を創設。
さらに1915年、大正4年には、ドライイーストを使った製法を完成させたとされています。
当時のパンは、今のようなやわらかい食感ではありませんでした。
全日本丸十パン商工業協同組合の歩みによると、ドライイーストを用いることで、ふっくらしたパンが焼き上がるようになったと伝えられています。
この変化は、パンが特別な食べ物から、家庭に近い食べ物へ近づく大きな一歩でした。
2013年に記念日が制定された背景には、1913年の創業から100年という節目があります。
100年という数字は、1人の職人の挑戦が、弟子や地域の店を通して受け継がれてきた証です。
毎月10日にコッペパンを選ぶことは、丸十パンの歩みを味でたどる小さな楽しみになります。
ジャムをはさむ朝食でも、焼きそばをはさむ昼食でも、揚げパンにするおやつでも構いません。
ふっくらした1本のパンに、明治・大正・昭和・平成・令和へ続く食文化が詰まっています。
コッペパンの日に知りたい名前と形の奥深い話
コッペパンの日に覚えておきたい話は、「コッペ」という名前にも複数の由来説があることです。
よく知られているのは、フランス語の「coupe」に由来する説。
「切る」「切られた」といった意味に結びつき、パン生地に入れる切り込みや、小型のフランスパンとの関係から広まった説明です。
岡山県立図書館の調査事例では、フランス語由来説のほか、ドイツ語の「Koppe」「Kuppe」に結びつける説も紹介されています。
つまり、コッペパンの名前には、1つだけのきれいな答えがあるわけではありません。
形から来たのか、切り込みから来たのか。
その揺らぎも、長く親しまれてきた言葉らしい魅力です。
コッペパンは、一般的に細長く、底が平らで、手で持ちやすい形をしています。
食パンのようにスライスしなくても、中央に切り込みを入れれば具材をはさめます。
この形は、あんマーガリン、ピーナッツクリーム、焼きそば、コロッケ、たまごサラダなど、甘い味にも食事系にもなじみます。
1本のパンで朝食にも昼食にもおやつにも変わる。
この自由さが、コッペパンを長く残してきた理由の1つです。
昭和の学校給食を思い浮かべる人にとって、コッペパンは記憶の中のパンです。
1950年ごろから学校給食に採用され、全国へ広まったとされています。戦後の食糧事情の中で、作りやすく、運びやすく、栄養を補いやすいパンとして注目されました。
平成以降は、昔ながらの給食パンとは違う楽しみ方も広がりました。
注文を受けてから具材をはさむ専門店では、揚げたてのパン、厚めのコロッケ、季節のフルーツ入りクリームなどが並びます。
昔を知る世代には懐かしく、若い世代には新しい。
コッペパンの日は、そんな2つの感覚が同じテーブルに並ぶ日でもあります。
コッペパンの日と深く関わる田辺玄平翁と丸十パン
コッペパンの日を語るうえで中心になる人物は、田辺玄平翁です。
田辺玄平翁は、全日本丸十パン商工業協同組合が「丸十の始祖」と位置づける人物。
アメリカで学んだ製パン法を日本へ持ち帰り、パン食の普及に力を注ぎました。
1913年、大正2年に東京下谷黒門町で食パン製造工場を創設したとき、田辺玄平翁はパンを単なる洋風の食べ物として見ていませんでした。
組合の沿革には、「食糧問題の根本的解決はパン食の普及にあり」という考えが掲げられていたと記されています。
米を中心にした食生活が当たり前だった時代に、パン食を広げる発想は挑戦でした。
それも、外国の味をそのまま持ち込むだけではありません。
日本の暮らしに合うように、ふっくらして食べやすいパンを目指したところに、田辺玄平翁の先見性があります。
大正8年ごろには、下谷黒門町の工場が手狭になり、麻布宮村町に新しい工場が設けられました。
パン焼窯やミキサーを導入し、機械化にも力を入れたとされています。
この麻布の工場には、アメリカ式製パン法や配達販売を学ぶ青年が全国から集まりました。
まるで製パンの学校のような場所だったのです。
そこで技術を身につけた門下生たちは、3年、5年、7年と修業を重ね、それぞれの土地で店を開きました。
丸十の名前が各地へ広がった背景には、1つの本店だけでなく、職人たちの独立と継承があります。
全日本丸十パン商工業協同組合も、この流れの中で生まれました。
大正末期から昭和初期には、門下生たちが「丸十互助会」を発足させます。
その後、戦後の東京都丸十パン協同組合を経て、1966年、昭和41年に全日本丸十パン商工業協同組合が発足しました。
コッペパンの日を制定したこの団体は、昔の名前を守るだけの存在ではありません。
職人の技術、地域のパン屋のつながり、懐かしい味を次の世代へ渡す役割を担っています。
毎月10日にコッペパンを味わうと、田辺玄平翁から始まった丸十パンの物語が、今の食卓にも続いていることに気づけます。
コッペパンの日に関するよくある質問
コッペパンの日はいつですか?
コッペパンの日は、毎月10日です。
1月10日だけ、10月10日だけではなく、1年に12回あります。
日付の由来は、丸十の「十」。
全日本丸十パン商工業協同組合が、丸十のコッペパンを知ってもらう目的で制定しました。
毎月10日に決められているため、パン屋のキャンペーンや家庭の献立にも取り入れやすい記念日です。
朝にジャムコッペを選ぶ、昼に焼きそばパンを食べる、夜に揚げパンを作る。
そんな小さな楽しみ方でも、コッペパンの日らしい過ごし方になります。
コッペパンの日を制定したのは誰ですか?
制定したのは、全日本丸十パン商工業協同組合です。
この団体は、田辺玄平翁を丸十の始祖としています。
田辺玄平翁は1910年にアメリカから帰国し、1913年に東京下谷黒門町で食パン製造工場を創設しました。
ドライイーストの研究を重ね、ふっくらしたパンづくりの技術を広めた人物です。
2013年は創業から100周年の年にあたり、丸十の歴史を伝える節目でした。
そのため、毎月10日のコッペパンの日には、パンそのものの味だけでなく、日本のパンづくりを支えた職人の歩みにも目を向けたいところです。
コッペパンはどうして懐かしい味と感じられるのですか?
コッペパンが懐かしい味と感じられやすい理由は、学校給食や地域のパン屋の記憶と結びついているからです。
昭和の給食では、コッペパンが主食として出された時期がありました。
紙袋に入ったパン、マーガリン、ジャム、牛乳。
この組み合わせを思い出す人は、40代、50代、60代にもいます。
また、コッペパンは味がシンプルです。
甘いクリームをはさんでも、コロッケをはさんでも、具材を受け止めるやわらかさがあります。
主張しすぎないからこそ、家庭の味や学校の記憶が重なりやすいパンです。
毎月10日に食べる1本は、昔の景色をそっと呼び戻してくれます。
コッペパンの日は丸十パンの歴史を味わう毎月10日の楽しみです
コッペパンの日は、毎月10日にコッペパンを味わいながら、丸十パンの歴史に触れられる記念日です。
日付は丸十の「十」に由来します。
制定したのは、田辺玄平翁を始祖とする全日本丸十パン商工業協同組合です。
田辺玄平翁は、1910年にアメリカから帰国し、1913年に東京下谷黒門町で食パン製造工場を創設しました。
そこから100年を迎えた2013年に、丸十のコッペパンを伝えるための記念日が生まれました。
コッペパンの魅力は、特別な準備をしなくても楽しめるところにあります。
あんマーガリン、焼きそば、たまごサラダ、コロッケ。
1本のパンが、朝食にも昼食にもおやつにも変わります。
毎月10日は、近くのパン屋でコッペパンを選んだり、家で好きな具材をはさんだりして、ふっくらした歴史を味わう日にしてみてください。
