新選組の日(3月13日 記念日)はどんな日?
✅ 会津藩「御預り」となり壬生浪士組が公認へ
✅ 3月13日は“新選組の前夜”を刻む記念日
✅ 日野市観光協会が制定し協会認定で登録
新選組と聞くと、池田屋事件の緊迫感、局中法度の厳しさ、隊士たちの刹那的な生き様がまず浮かぶかもしれません。けれど、物語が一気に動き出すのは、華やかな活躍の場面より少し手前にあります。
3月13日の「新選組の日」は、まさにその“手前”を照らす日です。
京都の壬生に集まった浪士たちが、ただの寄せ集めではなく、公に役目を帯びた存在へと変わる。松平容保(会津藩主・京都守護職)のもとで「会津藩預かり(御預り)」となった知らせが入り、のちの新選組につながる集団が正式に立ち上がった――そんな節目が、3月13日として語り継がれています。
この記念日を制定したのは、新選組ゆかりの地として知られる東京都日野市の「特定非営利活動法人 日野市観光協会」です。
さらに、記念日は一般社団法人 日本記念日協会に認定・登録されています。歴史ロマンで終わらせず、地域の誇りとして残し、学びや観光の入口にしていく――その意図が“日付”に込められているのが、この記念日の面白さです。
新選組の日(3月13日 記念日)の由来をやさしくひもとく
3月13日が選ばれた理由は、1863年(文久3年)のこの日、京都・壬生に屯していた浪士たちに「会津藩預かり(御預り)」とする連絡が入った、とされる点にあります。
これにより、彼らは“京都の治安に関わる役目を担う集団”として、公的な後ろ盾を得ました。のちに「壬生浪士組」と呼ばれ、さらに「新選組」へとつながっていきます。
背景には、清河八郎の構想で幕府が募集した「浪士組」の分裂があります。
江戸で集められた浪士たちは京都へ向かったものの、到着後に清河が尊皇攘夷を掲げたことで方針が崩れ、組織は空中分解。幕府の帰還命令で多くが江戸へ戻る一方、近藤勇・芹沢鴨ら一部が京都残留を選び、会津藩の配下に入る流れが生まれました。
そして日野市観光協会は、この「会津藩預かり」となった節目を“正式な発足の起点”として3月13日を記念日に設定しています。
日野の側から見れば、土方歳三や井上源三郎らを生んだ土地が、京都の激動と一本の線で結ばれる瞬間でもあります。
新選組の日(3月13日 記念日)をもっと楽しむ豆知識
1)「新選組の日」は実は“2回ある”と語られることも
新選組にまつわる記念日は、3月13日だけが語られているわけではありません。
媒体によっては「2月27日」も“新選組の日”として紹介されることがあります。こちらは、浪士組が京都に到着した日、あるいは前身の動きが固まった日として取り上げられがちです。
結果として、入口が二つあるように見えるのが新選組らしいところで、歴史の見方によって“始まり”が変わる好例でもあります。
2)3月13日(会津藩預かり)の「日付」に小さな揺れがある
年表類では、会津藩預かりになった日を「文久3年3月12日」とする記載も見られます。たとえば百科事典的なまとめや年表で3月12日表記が出てくることがあります。
一方で、3月13日を採る説明では「連絡が入った日」「内定の知らせが届いた日」といったニュアンスで語られます。
つまり、出来事の“決裁・扱い”をどこで区切るかによって日付が前後しやすい、ということです。記念日としては、情報が届き、立場が切り替わった“転換点”として3月13日に焦点を当てた――そう理解すると、腑に落ちやすくなります。
3)壬生浪士組から新選組へ:名前が変わるのは“9月”
3月13日が「壬生浪士組として公認へ進んだ日」だとすると、隊名としての「新選組」への改称はもう少し後の時期です。
会津藩の御預となった壬生浪士組は、のちに京都市中警護などで存在感を強め、やがて「新選組」と命名されていきます。会津若松市の解説でも、壬生浪士組が会津藩の命で動き、直後に新選組命名へつながる流れが説明されています。
この“段階を踏んで名が固まる”感じが、新選組の魅力でもあります。最初から完成された組織ではなく、役目と実績を重ねながら、呼び名と存在が定着していった――だからこそ、3月13日は「新選組の前夜」として記憶に残りやすいのです。
新選組の日(3月13日 記念日)と関わりの深い人物・団体を押さえる
この記念日を語るうえで欠かせない人物は、まず松平容保です。
会津藩主であり、京都守護職として京都の治安を担う立場にあった容保の配下に入ることで、壬生浪士組は“任務を帯びた集団”として筋が通ります。
京都の混乱を抑えるための治安維持の枠組みに、彼らが組み込まれた瞬間が、3月13日の核心です。
人物でいえば、近藤勇・土方歳三・沖田総司といった名が広く知られていますが、3月13日の文脈では「京都残留を選んだ側」という視点が大切になります。
分裂後に帰還する道もあったのに、あえて京都に残り、危うい均衡のなかで役目を引き受ける。そこには、野心だけでは片づけられない覚悟がにじみます。
そして、現代側の主役が「特定非営利活動法人 日野市観光協会」です。
日野市は土方歳三や井上源三郎らの出身地として、新選組の“ふるさと”を名乗れる土地です。記念日化は、歴史を展示ケースに閉じ込めるためではなく、郷土の誇りとして語り直し、まちの活性化へつなげるための仕掛けでもあります。
観光協会の発信では、3月13日を「新選組の日」として設定し、講演会などの取り組みにつなげていることが紹介されています。
さらに「一般社団法人 日本記念日協会」の認定・登録があることで、個人の思いつきではなく、由来と日付を整えた“記念日”として扱われます。
記念日文化を支える制度の枠に載っている点は、調べものをする側にとって安心材料になります。
新選組の日(3月13日 記念日)に関するよくある質問
Q1. 新選組の日(3月13日 記念日)は、何が「正式」なの?
3月13日は、壬生浪士組が会津藩預かりとなった連絡が入った日として位置づけられ、のちの新選組につながる集団が“公認の役割を帯びた”節目として語られます。
制定者である日野市観光協会がこの日を「新選組の日」として設定している点が、記念日としての「正式さ」を支えています。
Q2. 史料で3月12日と出るのは間違い?
必ずしも「間違い」とは言い切れません。年表やまとめでは、会津藩預かりになった日を3月12日と記すものもあります。
一方、3月13日を採る説明では“知らせが届いた日”“内定が伝わった日”という切り取り方で語られます。
出来事のどの瞬間を起点とするかで日付が揺れうるため、記念日としては3月13日に焦点を当てた、と理解すると整理しやすいです。
Q3. 新選組の日(3月13日 記念日)に合わせて、日野や京都で何を楽しめる?
“新選組のふるさと”としての日野は、人物の出自に触れやすい土地です。資料館の公開日程なども案内されており、タイミングが合えば、土方歳三や井上源三郎にまつわる展示に触れられます。京都側では壬生周辺が舞台の入口になり、両方をつなげて眺めると、3月13日の意味が立体的になります。
新選組の日(3月13日 記念日)を知るほど、物語の“始まり”が近くなる
3月13日の「新選組の日」は、派手な戦いの記念ではありません。けれど、だからこそ胸に残ります。
集団が公に役目を帯び、覚悟が現実の重みを持ち始める日。京都の壬生で起きた転換点が、日野という土地の誇りとも結びつき、現代の記念日として息をしている――そこに、この日の価値があります。
新選組を好きな人にとっては、英雄譚の一歩手前を確かめる日。歴史に詳しくない人にとっては、人物名だけでは見えにくい“組織の始まり方”を掴む日。
3月13日を起点にすると、浪士組の分裂、壬生浪士組の成立、そして新選組への命名へと、流れが一本につながって見えてきます。
今日は何の日(3月13日は何の日)
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