終戦記念日・全国戦没者追悼式(8月15日)はどんな日?
✅ 1945年8月15日、昭和天皇の玉音放送で日本の降伏が伝えられ、戦争が終わった日。
✅ 全国戦没者追悼式は宗教的中立のもと、戦没者約310万人を悼み平和を祈る式典。
✅ 昭和天皇、政府(厚生労働省社会・援護局)、戦没者遺族団体が深く関わっている。
第二次世界大戦が終結した8月15日は、日本人の心に深く刻まれた特別な日です。
この日を「終戦記念日」と呼び、多くの人々が静かに手を合わせ、失われた命を悼み、平和の誓いを新たにします。
1945年、焼け野原となった日本。
食料も物資も不足し、人々は日々を生き抜くことに必死でした。
そんな中、昭和天皇の肉声がラジオから流れた玉音放送は、多くの国民にとって人生で最も忘れられない瞬間となりました。
1963年からは政府主催の「全国戦没者追悼式」が毎年8月15日に開催され、日本全国で正午から1分間の黙祷が捧げられます。
これは単なる儀式ではなく、戦争の記憶を次世代に引き継ぐための大切な時間です。
終戦記念日・全国戦没者追悼式の由来と歴史
1945年8月14日~15日
1945年8月14日、日本政府はポツダム宣言を受諾しました。
そして翌15日正午、昭和天皇が玉音放送を通じて、戦争終結を国民に告げます。
この放送は、古典的な文語体と難しい漢字を多用したため、内容をすぐに理解できた国民は多くありませんでした。
しかし、その言葉の響きと声の調子から、敗戦であることを悟った人々の間に、深い静けさが広がったといいます。
終戦の日と降伏文書調印の日
日本国内では8月15日が「終戦の日」とされていますが、国際的には9月2日が終戦日とされる場合があります。こ
れは同日に東京湾の戦艦ミズーリ号上で降伏文書に正式調印したためです。
しかし、日本人にとっては、国民が初めて戦争の終わりを知った8月15日が記憶の中心となっています。
全国戦没者追悼式の歩み
最初の追悼式は1952年5月2日に新宿御苑で行われました。
その後、会場は千鳥ヶ淵戦没者墓苑、日比谷公会堂、靖国神社と移り、1965年から現在まで日本武道館で開催されています。
対象となる戦没者は、軍人・軍属約230万人、空襲や原爆で亡くなった市民約80万人、合わせて約310万人です。
終戦記念日の豆知識と知られざるエピソード
玉音放送の裏側
玉音放送は事前にレコード盤に録音されましたが、放送前夜には一部の軍人がこれを阻止しようとした「玉音盤事件」が発生しました。
玉音盤は宮内庁の職員らによって必死に守られ、無事に放送されることとなりました。
黙祷の意味
全国戦没者追悼式では、正午にサイレンの音とともに黙祷が行われます。
この時間は「一人ひとりが平和について考える時間」として全国に浸透しています。
海外から見た8月15日
韓国や中国では、この日を「日本の敗戦の日」として記憶しています。アメ
リカやイギリスなどでは「対日勝利の日(V-J Day)」として8月15日または9月2日を祝う場合があります。
終戦記念日・全国戦没者追悼式に関わる人々
政府・厚生労働省社会・援護局
式典の企画・運営を担い、戦没者遺族の支援も行っています。
戦没者遺族団体
戦争の記憶を語り継ぐため、全国で証言活動や資料展示を行っています。
終戦記念日・全国戦没者追悼式に関するよくある質問
Q1. なぜ黙祷は正午に行われるのですか?
A1. 玉音放送が正午に流れたことにちなみ、同時刻に全国で黙祷を行うようになりました。
Q2. 式典には一般人も参加できますか?
A2. 参列は原則として戦没者遺族や関係者に限られますが、テレビやネットで視聴可能です。
Q3. 子どもにも終戦記念日をどう教えればよいですか?
A3. 難しい歴史用語よりも、家族や友人を大切にすること、争いのない世界を願うことから伝えるのがおすすめです。
終戦記念日・全国戦没者追悼式のまとめ
8月15日は、日本の戦争が終わった日であり、平和の大切さを改めて胸に刻む日です。
昭和天皇の玉音放送、全国戦没者追悼式、黙祷の時間――すべてが「二度と戦争を繰り返さない」という誓いを象徴しています。
この日を知ることは、未来を守ることでもあります。
今日は何の日(8月15日は何の日)
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