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ポツダム宣言記念日(7月26日)とは?学校では教えてくれないあの日の真実

ポツダム宣言記念日に関連する平和と戦争の象徴を盛り込んだカラフルなペーパーアート

もしかしたら、あなたは「7月26日は何の日?」と聞かれても、ぱっと答えに迷うかもしれません。

でも実は、この日は日本だけでなく、世界の歴史を大きく変えた重大な“境目”の日なんです。

1945年(昭和20年)の7月26日、アメリカ、イギリス、中華民国の3カ国の首脳がドイツ・ポツダムで “日本に無条件降伏を求める宣言” を出した日――それが「ポツダム宣言記念日」です。

この宣言がなければ、終戦の時期も、戦後日本の姿も、もっと違っていたかもしれません。

今日は、そんな重要な記念日を、わかりやすく、しかも読みながら 「そうだったのか!」 と納得&驚けるような内容で探っていきます。

✅ 学校では学べない「ポツダム宣言」の国際背景
✅ 終戦につながる決定打となった“お願い”の中身
✅ 現代にどうつなげる?平和の意味をわかりやすく伝えます

目次

ポツダム宣言記念日ってどんな日?その由来と背景

宣言が出された“舞台裏”に迫る

1945年7月26日──この日、ドイツ・ベルリン郊外のポツダムで、連合国のリーダーたちが集まって行ったのが「ポツダム会談」です。

参加者は、アメリカのハリー・S・トルーマン大統領、イギリスのウィンストン・チャーチル首相、そして中華民国の蒋介石主席。(※ただし、イギリス代表はチェンバレン首相から交代してチャーチルが参加)

ここで出されたのが、のちに“ポツダム宣言”と呼ばれる、日本への降伏要求でした。

この宣言は、

1)日本の軍備完全放棄
2)戦争犯罪人の裁判
3)民主主義実現に向けた言及
4)“完全な壊滅”を含む強い警告

などが盛り込まれ、「無条件降伏」を迫る内容でした。

ただし、「天皇の地位については明示せず、国民が自由に決定できるように」といった曖昧さもあり、日本側に大きな誤解と混乱を与えたとも言われています。

日本はどう反応したの?受諾までの道のり

日本政府の最初の反応は、「原文を見ていない」「正確な意味を把握していない」として明確な返答を避けるという姿勢でした。

特に気になるのが「天皇制存続」についての記述がなかったことです。

国民や政府内には「天皇の地位が危ない」という不安が広がり、そのせいで宣言への受諾は難航しました。

さらに、日本の状況は一層厳しくなっていきます。

1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下。

8月9日には、長崎にも2発目が落とされます。

さらに同じ8月9日、ソ連が日本に宣戦布告。

この三重のショックにより、日本政府はついに8月14日、ポツダム宣言を「受諾する」との回答を国際連合側に提出。

その後、8月15日の「玉音放送」で、ようやく国民へ「終戦」の知らせが届きました。

降伏文書の署名が行われた“あの場所”

8月15日から3週間ほどが過ぎた9月2日。

東京湾に停泊していたアメリカ戦艦ミズーリ号の甲板上で、日本政府全権・重光葵と大本営全権・梅津美治郎が、米側や他の連合国代表と降伏文書に署名しました。

この日は戦艦ミズーリ号の写真が象徴的に世界に配信され、まさに「戦争が終わった」という歴史の1ページとなったのです。

学びどころが満載!ポツダム宣言記念日の豆知識

豆知識1:ソ連が関与しなかった理由とは?

ポツダム会談には当時まだ参加していなかったソ連。

そのため、宣言にはソ連は署名者として記されていません。

実際には、宣言からわずか2週間後の1945年8月8日にソ連は日ソ中立条約を破棄し、日本に戦線を拡大。

一気に戦況が日本に不利になるという、さらに強く重い打撃を与えました。

豆知識2:天皇制はどうなる?曖昧な一文に潜む真意

宣言は“天皇制をどうするか”明確に述べていません。

ただし「国民が自由に決定できるように」と記してあるだけ。

この文言は日本政府に「天皇存続の可能性あり」との希望を抱かせ、一方で戦後世界との軋轢を避ける“絶妙なライン”とも言えます。

この曖昧さが、日本側の心理に深く影響したことは間違いありません。

豆知識3:降伏調印式はなぜミズーリ号だったの?

ミズーリ号は「ビッグ・スティック」(強力な抑止力)の象徴であり、日本湾に堂々と停泊できる最大級の戦艦でした。

その甲板で降伏調印を行うことで、まさに「勝利と終結」の象徴になる演出として、アメリカ側が意図したわけです。

この演出は、日本側にも「降伏=屈服」の強いメッセージを与えました。

登場人物&組織紹介 ~ポツダム宣言に関わった人たち~

ハリー・S・トルーマン(1884–1972)

ルーズベルト大統領の急死を受け、副大統領から引き継いだリーダー。

原子爆弾投下の最終判断をして、日本に無条件降伏を迫りました。

ウィンストン・チャーチル(1874–1965)

あの「鉄のカーテン」演説で有名なイギリスの政治家。

ポツダム会談には参戦し、戦後ヨーロッパの枠組みづくりに尽力しました。

蒋介石(1887–1975)

中華民国主席として第二次世界大戦終結に関与。

当時は中国大陸の内戦も抱えており、非常に複雑な立場にありました。


日本側

鈴木貫太郎(1868–1948)

日本の内閣総理大臣として、受諾問題を最終的に議論にかけた政治家。

終戦を切り出す決断を迫られた重要人物です。

天皇(昭和天皇/裕仁、1901–1989)

玉音放送によって、日本中の国民に「終戦」を直接告げた存在。

その声は、戦争の実際を知らない世代にも深く響きました。

重光葵(1882–1957)・梅津美治郎(1888–1989)

降伏文書調印の日本全権として出席した二人。

その姿は、歴史に刻まれるシーンの主役でした。

【よくある質問】ポツダム宣言記念日に寄せられるQ&A

Q1:ポツダム宣言にはどういう目的があったの?

A:アメリカ・イギリス・中華民国の三国は、ドイツ敗戦後の処理と並行して、日本にも即時終戦と無条件降伏を迫り、戦争の残滓を断ち切るために提出しました。

Q2:本当に「無条件降伏」とは何?

A:「条件をひとつもつけず降伏せよ」ということ。
日本側が天皇制維持や戦後主権に関する保証など、何も要求できない状態でした。

Q3:なぜ天皇制の扱いが曖昧だったの?

A:日本国内で大きな心理的支えとなっていた天皇制を完全に廃止すれば、受諾が難しくなると三国は判断。
「国民の意思で決める」一文によって、宣言を受け入れやすくする“仕掛け”にしたとも言えます。

ポツダム宣言記念日が教えてくれる「今につながる平和のヒント」

戦後80年を超えた今、改めて「平和とは何か」を問う日として、ポツダム宣言記念日は見直されるべきです。

平和はただ「戦争がないこと」だけではなく、民主主義や人権といった価値観を根付かせるプロセスでもあります。

あなたが今日「ポツダム宣言記念日」をふと思い出すことで、未来につながる平和な社会の想像が広がれば、こんなにうれしいことはありません。

今日は何の日(7月26日は何の日)

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