夏の夕立が遠くで轟き始める季節、7月16日は「後の藪入り」です。
江戸時代、商家の丁稚や女中が、年に二度だけ許された休日――それがこの日でした。
✅ 奉公人が年2回許された唯一の郷里帰省日
✅ 「盆」と「地獄」の文化が重なる日
✅ 現代の帰省文化と心がつながる日
なぜ7月16日?「後の藪入り」の由来と江戸の街角
商家に住み込み働く奉公人は、朝から夜まで休みなく働くのが日常。
そんな彼らにとって、正月とお盆だけが、実家へ帰れるかけがえのない時間でした。
「藪入り」という言葉には諸説ありますが、ひとつは「宿下がり(やどさがり)」が変化したという説。
もうひとつは「実家が薮深い」ところが多かったため、自然と“藪”の言葉がついたとも言われています。
一年の中で、1月16日と7月16日だけ、主人から許される「旅の時間」。
まるで都会の忙しさから一歩抜け出して、田舎の風に包まれる――当時の奉公人にとって、それは生きる糧でした。
知ればもっと面白い!「地獄の釜」とともに開く日
7月16日は陰陽道でいう「閻魔賽日」。
「閻魔大王」に由来し、この日は地獄の釜の蓋が開くとも言われます。
つまり、亡くなった先祖や幽霊たちもこの日だけは、あの世とこの世の狭間で自由に行き来できる日だったのです。
奉公人が帰省する日、人々もまた先祖を迎える日。
偶然の重なりを越えて、日本人の「家」と「生死」に対する感性が見えてきます。
また「盆と正月が一緒に来たようだ」ということわざも、藪入りの贈り物や心温まる久々の再会に由来します。
この日はまさに、年に二度の“贈り物”のような時間だったのです。
丁稚の一日を体験!当時の商家と家族の情景
早朝5時、丁稚は頭に手拭いを巻いて、水桶を担いで出勤。
掃除、薪運び、火の番――日が昇る前に終える仕事の山。
そこへ、主人からひと言。「今日は藪入りだぞ」。
心臓が跳ねるのを感じながら、丁稚は茶屋で休憩し、小遣いと新しい着物を手渡されます。
その装いに実家の母が涙した――そんな光景が目に浮かびます。
父は藪に囲まれた小さな庭先で、帰る息子の背中を見送りながら、そっと手を振ります。
家族の絆と、ささやかだけれど貴重な“再会の儀式”。
奉公人制度が廃れた後も、日本人の帰省習慣として、この藪入りの精神は脈々と受け継がれています。
小噺・落語にも残る「藪入り」の余韻
落語『藪入り』には、亀吉という丁稚が登場します。
久しぶりに帰ってきた息子を驚かせようと、母が正装で出迎える……そのシーンに胸が熱くなる。
芝居や縁日も藪入りの風物詩。
奉公先に帰れない仲間も、街角で団子を食べたり、櫓の下で笑ったり。みんなが“休む日”を共有する特別な一日でした。
よくある質問:後の藪入り編
Q. なぜ7月16日を休暇日に?
旧暦のお盆(7月15日)に合わせて、16日を藪入りに。
奉公人にとって、先祖供養と家族の時間が重なる日だったからです。
Q. どうして「後の」なの?
「後の藪入り」は、1月16日の「初の藪入り」に対して、
夏の“後の”お休みという意味が込められています。
Q. 現代に生きる私たちに活かせることは?
年に一度の大型連休ではなく、
年に数回、心をリセットする“プチ藪入り”。
家族や自分への小さな贈り物になるかもしれません。
その他の記念日(7月16日)
後の藪入り
盆送り火
閻魔参り・閻魔賽日
国土交通Day
駅弁記念日
外国人力士の日
虹の日
からしの日
長瀞観光の日
ZEPPET STOREの日
夏を色どるネイルの日
トロの日
十六茶の日
いい色髪の日
まとめ|日本人の“帰る”心が息づく、後の藪入り
後の藪入りは、江戸の丁稚や女中にとって、年に二度のいのちを整える時間でした。
小さな荷物を抱え、帰る家。
笑顔の帰還と再会。
そこに込められた家族の情、彼らの喜びと涙――
そうしたシーンに、日本人の「絆」「先祖を大切にする心」「労働の価値観」が揺れ動きます。
そして現代でも、帰省や休暇の過ごし方に、この藪入りの思想は自然と息づいているのです。
「帰る」ことは、ただ物理的な移動ではなく、心を元の場所に戻す“旅”でもあります。
令和時代の今、私たちも“プチ藪入り”を取り入れて、日々をほんの少し贅沢に、ゆたかに過ごしてみませんか?
