咸臨丸出航記念日はどんな日?
✅ 江戸幕府の軍艦・咸臨丸が江戸品川沖から太平洋へ出航した日です。
✅ 日本人が自ら操船し、初めて公式に太平洋横断へ挑んだ歴史的な日です。
✅ 勝海舟や福澤諭吉、中浜万次郎らが乗船し、日本の近代化と深く関わりました。
日本が世界と本格的に向き合う以前。まだ海外が「恐れ」や「未知」と結びついていた時代があります。
その空気を打ち破るように、静かに、しかし確かな覚悟をもって海へ出た船がありました。それが咸臨丸です。
咸臨丸出航記念日は、単なる船の出発を祝う日ではありません。日本人が初めて、自分たちの力で太平洋を渡る決断をした日です。
誰かに守られた航海ではありません。誰かに導かれただけの挑戦でもありません。
不安と恐怖を抱えながら、それでも前へ進むと決めた日。それが1月13日です。
咸臨丸出航記念日の由来|1月13日が持つ歴史的な意味
咸臨丸出航記念日は、1860年(万延元年)旧暦1月13日に、江戸幕府の軍艦「咸臨丸」が江戸品川沖を出航したことに由来します。
この航海の目的は、日米修好通商条約の批准書を交換するため、遣米使節をアメリカへ送ることでした。
当時の日本は、長い鎖国の時代を終え、急激に国際社会へ引き出されていました。しかし、海を越える経験も、外国と対等に渡り合う自信も、まだ十分とは言えませんでした。
それでも幕府は決断します。「日本人自身の手で太平洋を渡る」という、前例のない挑戦を選んだのです。
咸臨丸は、木造船でありながら蒸気機関を備えた蒸気コルベット艦でした。帆と蒸気を併用する構造は当時としては先進的でしたが、外洋航海は常に危険と隣り合わせでした。
嵐。
船酔い。
病。
それでも引き返さず、前へ進んだこと。それ自体が、日本の歴史に刻まれる価値を持っていました。
咸臨丸出航記念日の豆知識|船名に込められた願いと象徴性
「咸臨丸」という船名は、易経に由来します。
「咸臨」とは、君臣が心を通わせ、互いに親しみ合うことを意味する言葉です。
この名前には、日本が急激な変化の中でも、国としての調和を失わず、新しい時代へ進む願いが込められていたと考えられます。
また、咸臨丸の航海が特別なのは、単なる外交のためだけではありません。日本人が初めて、正式に太平洋を横断したという事実があります。
同年旧暦2月26日、咸臨丸はアメリカ・サンフランシスコへ到着します。この到着日が「咸臨丸の日」とされているのも、その偉業を讃えるためです。
さらに100年後の1960年(昭和35年)には、日米修好通商条約締結100周年を記念し、咸臨丸を描いた記念切手が発行されました。一隻の船が、時代を超えて語り継がれている証です。
咸臨丸出航記念日と深く関わる人物たちの覚悟
この航海の艦長を務めたのが、勝海舟です。
勝海舟は、西洋の海軍力を正しく理解し、日本が生き残るためには学ぶしかないと考えていました。彼にとってこの航海は、命を預かる重責であり、未来への賭けでもありました。
乗船していた福澤諭吉は、アメリカ社会の自由さや合理性に衝撃を受けます。この体験は、後の思想や著作に大きな影響を与えることになります。
そして通訳として欠かせなかった存在が、中浜万次郎です。異国で生き抜いた経験を持つ万次郎の存在は、咸臨丸の航海を現実のものにしました。
それぞれが異なる立場でありながら、同じ船に乗り、同じ海を越えたのです。
咸臨丸出航記念日に関するよくある質問
Q1. なぜ日本人だけで太平洋横断ができたのですか?
長崎海軍伝習所などで学んだ西洋航海術を実践し、実地で技術を身につけていたからです。
Q2. 咸臨丸の航海は危険ではなかったのですか?
非常に危険でした。
病や荒天に見舞われながらも、航海を成し遂げた点に価値があります。
Q3. 現代にこの記念日が伝える意味は何ですか?
未知を恐れず、一歩踏み出す勇気の大切さを伝えています。
咸臨丸出航記念日のまとめ|未来へ踏み出す勇気を思い出す日
咸臨丸出航記念日は、日本が世界を恐れずに見据えた日です。完璧な準備などなく、それでも進むと決めた覚悟の日です。
勝海舟たちが選んだ一歩は、現代の日本にも確かにつながっています。1月13日は、挑戦する心を思い出させてくれる大切な記念日です。
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