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駆け落ちの日(1月3日)とは?岡田嘉子と杉本良吉、自由と信念の逃避行

駆け落ちの日にまつわる岡田嘉子と杉本良吉の亡命劇と、自由と信念を貫いた人生を解説
目次

駆け落ちの日(1月3日 記念日)はどんな日?

✅ 1938年1月3日、岡田嘉子と杉本良吉が自由を求めて樺太からソ連へ亡命した日。
✅ この亡命は、恋愛劇ではなく、思想と表現の自由を求めた行動だった。
✅ 岡田嘉子(女優)と杉本良吉(共産党員・演出家)が深く関わっている。

時代に挑んだ2人の逃避行「駆け落ちの日」――その記念日には、どんな想いが込められているのか?

寒さが骨の奥まで染み込む1月の樺太。雪に覆われた国境を、2人の男女が静かに越えようとしていました。

1人は、当時すでに映画界で脚光を浴びていた女優・岡田嘉子。もう1人は、理想を追い求める共産党員であり演出家の杉本良吉

この2人が手を取り合い、命を賭して国境を越えたその日――1938年1月3日。

この出来事は、今や「駆け落ちの日」として静かに記憶されています。

しかし、これはただの恋愛劇ではありません。この逃避行は、時代の抑圧に抗い、表現の自由と思想の解放を求めた壮絶な「人生の選択」だったのです。

彼らがなぜその日を選んだのか。何を信じ、何を失い、そして、どんな未来を歩んだのか。

この記事では、駆け落ちの日の本当の意味と、その裏にある人間ドラマを、まるで小説のように読み解いていきます。

駆け落ちの日の由来――1938年1月3日、樺太国境を越えた決断

舞台は1930年代の日本。言論の自由が奪われ、芸術も思想も監視される時代です。

女優・岡田嘉子(おかだ よしこ)は、当時36歳。彼女は大正・昭和初期の映画界で活躍し、「大女優」として広く知られていました。

一方の杉本良吉(すぎもと りょうきち)は、岡田より5歳年下。新協劇団の演出家であり、理想に燃える日本共産党の活動家でした。

2人は、社会に疑問を抱きながら芸術と向き合っていた同志。舞台での共演をきっかけに思想的にも共鳴し、やがて行動を共にするようになります。

しかし時代は、そんな自由な思想を許してはくれませんでした。

共産党員に対する弾圧は激しさを増し、杉本の身にも危険が迫ります。岡田も、思想的な理由で映画界からの圧力を受け始めていました。

そんな中、2人が選んだのは「亡命」。

逃げる先は、当時共産主義国家として知られていたソビエト連邦(ソ連)。1938年1月3日、厳冬の樺太から、2人は静かに国境を越えました。

この日の亡命劇は、当時の新聞や世間を大きく揺るがしました。

「大女優が駆け落ちした」とセンセーショナルに報じられましたが、それは単なる恋愛の逃避行ではなく、時代に抗った強い信念の証だったのです。

駆け落ちの先にあった運命――理想は、悲劇へと変わっていった

理想の地として選んだソ連。しかし、そこに待っていたのは自由でも芸術でもありませんでした。

2人は、スパイ容疑でソ連国家保安機関に逮捕されます。

杉本は「国家反逆罪」の罪で取り調べを受け、わずか翌年には銃殺刑に処されてしまいます。その知らせを受けた岡田の胸中を思うと、言葉になりません。

岡田もまた、過酷な運命をたどります。スパイ容疑で禁錮10年の判決を受け、シベリアの強制収容所に送られました。

極寒の地で、耐えがたい労働と孤独に耐える日々。それでも岡田は、生きることを諦めませんでした。

言葉も通じない異国の中で、彼女は「芸術の火」を胸に灯し続けます。

この時代、女性が思想のために命をかけること、ましてやその行動が記念日として語り継がれることは非常に珍しいことでした。まさに岡田嘉子という人物の強さと信念が、この日を歴史に刻ませたのです。

再生と第二の人生――モスクワで過ごした晩年

収容所からの解放後、岡田嘉子はモスクワで新しい人生を始めます。

彼女はソ連のラジオ局「モスクワ放送(後のロシアの声)」に勤務。日本語放送のアナウンサーとして働く傍ら、再び演劇の世界に足を踏み入れます。

現地の演劇学校に通い、舞台に立つこともありました。そして、そこで出会ったのが、11歳年下の元日活俳優・滝口新太郎(たきぐち しんたろう)

戦後にソ連に渡った彼と結婚し、ささやかで穏やかな家庭を築いていきました。

あれほどの悲劇を乗り越えた彼女が、再び「女優」として舞台に立ち、「妻」としても人生をまっとうしたことは、多くの人にとって希望となる物語です。

駆け落ちの日が、今の私たちに問いかけること

現代に生きる私たちは、SNSで自由に意見を言い、情報を手に入れられます。

しかし、それがどれほど尊いことかを改めて思い出させてくれるのが、この「駆け落ちの日」です。

岡田嘉子と杉本良吉が命をかけて求めたものは、「自由に生きること」「表現すること」「信じた道を歩むこと」でした。

私たちが当たり前に享受しているその自由の裏には、こうした人物の犠牲と覚悟があることを、この日を通して知ることができます。

だからこそ「駆け落ちの日」は、単なる歴史の一幕ではなく、今を生きる私たちの生き方を見つめ直すきっかけとなるのです。

駆け落ちの日に関するよくある質問

Q1:岡田嘉子と杉本良吉は恋人だったのですか?

完全な恋愛関係だったかどうかは明確ではありませんが、強い信頼と思想的な絆で結ばれていたのは確かです。
記録には親密な関係だったことを示すものもあり、恋と信念の両方があった可能性が高いです。

Q2:なぜ1月3日が「駆け落ちの日」になったのですか?

1938年1月3日が、実際に2人が日本領土からソ連へ亡命を果たした日だからです。
歴史的な事実をもとに、この日が記念日とされています。

Q3:岡田嘉子はその後、日本に帰国しましたか?

いいえ。彼女は一度も日本に帰国していません。
モスクワで一生を終え、1992年、90歳でその生涯に幕を下ろしました。

まとめ:駆け落ちの日――それは、「自由」と「信念」を貫いた記憶の日

1月3日「駆け落ちの日」。
その背景には、映画のような逃避行だけでは語りきれない、壮絶な人生と時代の闘いがありました。

岡田嘉子と杉本良吉という2人の名前を、今、静かに思い返してみてください。

彼らの選んだ道は、悲劇で終わったかもしれません。

しかし、その行動が残したものは、今を生きる私たちにとっても「自由の大切さ」を思い出させてくれる貴重な記憶です。

この日を通して、信じるものを貫く勇気と、自由のありがたさを改めて感じてみてください。

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