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「昭和」改元の日(12月25日)とは?元号の意味・光文事件・歴史の裏側まで徹底解説

昭和改元の日の由来や意味、元号の背景や光文事件の真相を解説した記念日の歴史ブログ
目次

「昭和」改元の日(12月25日)はどんな日?

✅ 大正天皇の崩御を受け、皇太子・裕仁親王が即位し、新元号「昭和」が制定された日。
✅ 「昭和」は『書経』の一節「百姓昭明、協和萬邦」から命名され、平和と共存を意味する。
✅ 枢密院・内閣・新聞社などが元号案に関わり、「光文事件」という誤報騒動も発生した。

「昭和」改元の日(12月25日 記念日)とは?時代の扉が開いた歴史の一日

元号の変わり目に立ち会う機会は、人生でそう何度もあるものではありません。
日本の長い歴史の中でも、元号の改元は特別な意味を持ち、社会に与えるインパクトも大きな出来事です。

1926年(大正15年/昭和元年)の12月25日。
この日は、まさにその“時代の扉”が開いた日。

大正天皇が崩御し、皇太子であった裕仁親王が即位。
同時に、新たな元号「昭和」が制定され、日本は新時代へと踏み出しました。

この記事では、「昭和」改元の日がどのような一日だったのかを、
その背景、由来、知られざる裏話、関係者たちの思惑までを、わかりやすく丁寧に解説していきます。

読み終えたあと、きっと誰かに「ねえ知ってた?」と話したくなる――
そんな記念日の舞台裏をご紹介します。

「昭和」改元の日の由来とは?元号に込められた願いと想い

1926年12月25日。
この日は、日本にとって時代がひとつ終わり、次の章が始まる節目となった日です。

大正天皇が崩御され、皇太子の裕仁親王が新たな天皇として即位。
同時に、新しい元号「昭和(しょうわ)」が公式に決定されました。

日本では、天皇が変わると元号も変わる「一世一元の制」が採用されています。
つまり天皇の即位は、元号の変更とセットになっているのです。

では、「昭和」という元号にはどんな意味が込められていたのでしょうか?

実はこの言葉、古代中国の歴史書『書経(しょきょう)』にある一節から取られています。

それが、「百姓昭明、協和萬邦」。

読み下すと「百姓(ひゃくせい=庶民)が明るく照らされて、万国が調和する」という意味になります。

この一節の中から「昭」と「和」の文字をそれぞれ一字ずつ取り、
「昭和」という新たな元号が生まれたのです。

この元号には、国内が明るく治まり、世界とも協調しながら繁栄していくことを願う、平和と共存の想いが込められていました。

後に「激動の昭和」と呼ばれるような時代が始まるとは、この時誰も想像していなかったかもしれません。

元号選定の舞台裏と「光文事件」――「昭和」に決まるまでの紆余曲折

元号はどうやって決まるのか。

今でこそ専門家の意見を集めて選ばれる元号ですが、昭和改元の時代には、枢密院(すうみついん)という天皇の諮問機関と内閣がそれぞれ候補を持ち寄っていました。

まず、宮内省が提示した元号案は以下の通りです。

  • 神化
  • 元化
  • 昭和
  • 神和
  • 同和
  • 継明
  • 順明
  • 明保
  • 寛安
  • 元安

この中から最終的に「昭和」が選ばれたとされています。

一方で内閣側は別の案を検討していました。

  • 立成
  • 定業
  • 光文
  • 章明
  • 協中

中でも注目されたのが「光文(こうぶん)」という案です。

この「光文」をめぐって、思わぬ騒動が巻き起こります。

当時の新聞社「東京日日新聞」(現在の毎日新聞)は、独自の取材で「新元号は光文に決定!」と一面で大々的に報道してしまったのです。

ところが、政府の正式な発表では「昭和」。

この新聞記事は、まさかの“誤報”だったのです。

これがいわゆる「光文事件」です。

当時の編集局主幹・城戸元亮(きど もとすけ)氏は、責任を取って辞任。

この事件は、報道の信頼性や情報統制の難しさを浮き彫りにし、メディア史における象徴的な出来事として記録されました。

さらにこの一件は、「本当は光文に決まりかけていたのを、誤報が出たために急遽『昭和』に変えたのでは?」という都市伝説まで生み出します。

真偽はともかく、元号がいかに社会的に重要な意味を持っているかがよく分かるエピソードです。

「昭和」改元の日と関わりの深い人物・組織とは?

「昭和」改元には、複数の重要人物と組織が関わっていました。

まずは、昭和天皇として即位された裕仁(ひろひと)親王
彼は、昭和という時代を62年にわたり治め、日本最長の在位期間を記録した天皇です(当時)。

次に、元号の選定を進めた枢密院
このときの議長は倉富勇三郎(くらとみ ゆうざぶろう)

彼は、宮内省が提示した複数の案から、「昭和」を最終候補として選ぶ経緯に深く関わった人物でした。

また、「光文事件」で一躍注目を浴びたのが新聞社東京日日新聞(現在の毎日新聞)
編集局主幹であった城戸元亮氏は、誤報の責任を取り、潔く辞任。

この事件は、情報管理と報道の在り方に一石を投じる形となりました。

政府、皇室、報道機関。
それぞれが複雑に絡み合いながら、「昭和」という元号が生まれたのです。

「昭和」改元の日に関するよくある質問

Q1:「昭和元年」はいつから始まったの?

A1:昭和元年は1926年12月25日から始まりました。
ただし、1週間後には新年(1927年1月1日)を迎えたため、昭和元年はわずか7日間だけという非常に短い期間となりました。

Q2:昭和の元号にはなぜ「和」の文字が含まれているの?

A2:「和」は日本を象徴する文字として、古来より元号に多く使われてきました。
「昭和」の「和」は、他国と調和し、国の平和と安定を願う意味が込められています。
明治・大正・昭和と、三代続けて元号に「和」が入っているのも特徴です。

Q3:「光文事件」のような誤報は他にもあるの?

A3:現代では情報管理が厳重に行われており、改元に関しては厳しい報道規制が敷かれます。
しかし、昭和の時代には情報統制が今ほど強くなかったため、「光文事件」のような誤報が発生しました。
その反省から、平成・令和の改元では厳重な秘密保持が徹底されました。

「昭和」改元の日(12月25日)は、時代の大きな転換点だった

「昭和」改元の日である12月25日は、日本の歴史における節目として、極めて重要な意味を持っています。

それは単なる天皇の交代や元号の変更ではなく、政治・社会・国民の感情が交錯する、“時代の心”が動いた瞬間だったのです。

「百姓昭明、協和萬邦」――
この一文に込められた平和と調和の願いは、今なお色褪せることなく私たちの心に響きます。

そして、「光文事件」というひとつの誤報が、歴史の流れをどう揺るがしたのか。
元号の重みと、それに携わった人々の責任と覚悟が感じられる出来事でもありました。

「昭和」は、その後、戦争・復興・成長と、多くの波を越えていくことになります。

しかしそのスタート地点である12月25日――
この日こそが、日本の近代史を語るうえで、忘れてはならない記念日なのです。

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