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果ての二十日(12月20日)とは?妖怪・山の神・静寂の伝承に触れる忌み日の意味

果ての二十日(12月20日)は災いを避け静かに過ごす忌み日。妖怪伝承や山の神信仰などの文化的背景を詳しく紹介
目次

果ての二十日(12月20日)はどんな日?

✅ 一年の終わりにあたる旧暦12月20日を「果ての二十日」と呼び、災いを避けるため静かに過ごす日とされた日。
✅ 山の神や妖怪にまつわる言い伝えが多く、特に山に入ることを避けるべき日とされている。
✅ 和歌山・奈良の「果無山脈」や「一本だたら」の伝説と深く結びついており、地域信仰が背景にある。

静けさの中に宿る意味──果ての二十日という特別な日

年の瀬のあわただしさが増す12月。

街中ではクリスマスムードが漂い、スーパーや商店では正月準備に追われる日々が続きます。そんな喧騒の中、「果ての二十日(はてのはつか)」という古くからの言い伝えを知る人は、いったいどれほどいるでしょうか。

この日は、かつて日本各地で「一切の仕事を休み、山にも入らず、外出も避けて、静かに過ごすべき日」とされていました。

一見すると、現代の生活とはかけ離れた感覚のように思えるかもしれません。

しかし、この静けさを重んじる姿勢こそ、忙しい現代人にとって必要な「こころの余白」なのかもしれません。

「果ての二十日」は、古の人々の自然観、死生観、神仏との距離感を感じられる、深い意味を持つ日なのです。

果ての二十日の由来──なぜ12月20日が忌み日なのか?

果ての二十日とは、旧暦の12月20日を指す呼び名です。

この月は「果ての月」、つまり一年の終わりを意味し、心身を整え、新しい年を迎える準備をする大切な時期でした。そのなかでも20日という日は、特別な意味を持っていたと伝えられています。

最も有力とされる説は、「この日が災いを引き寄せやすい日とされていた」というものです。

つまり、言い換えれば「不吉な日」「慎むべき日」とされ、日常の営みを一旦止めるべき日と考えられていました。

特に山に関する信仰との結びつきが強く、「山の神」が怒りを持って地上に降りてくるとも言われ、この日に山へ入ることは大変危険とされてきました。

また、近畿地方の一部では「罪人の処刑日」としてこの日が使われていたという言い伝えもあります。

命を絶たれることが行われる日──つまり“穢れ”の日であることから、一般の人々も仕事や旅を控え、家の中で静かに過ごす風習が広まったと考えられています。

一本だたらと果無山脈──果ての二十日と妖怪伝承の不思議な関係

果ての二十日に欠かせないのが、「一本だたら」と呼ばれる妖怪の存在です。

これは和歌山県と奈良県の県境、紀伊山地の奥深くに広がる「果無山脈(はてなしさんみゃく)」に伝わる伝説です。一本だたらは、片足で立ち、ひとつ目しか持たないという異形の妖怪。

この妖怪が現れるのは、まさに「果ての二十日」――12月20日だけ、あるいはその前後の日。

山道を歩く旅人を襲い、命を奪うとも伝えられています。その恐怖から、人々はこの日、山を越えることを避け、峠道はひっそりと静まり返りました。

「果ての二十日に人が山に入らなくなったことで、人の気配が“果てた”ように感じられた」とされ、果無山脈という地名の由来にもなったという説まであるのです。

一本だたらのような妖怪伝承は、ただの空想話ではありません。当時の人々が、自然の脅威、特に冬の山の危険性を、物語という形で子どもたちに伝え、世代を越えて知恵を残してきたのです。

果ての二十日は、こうした知恵と警告が織り込まれた“命を守るための記憶”でもあります。

忌み日としての果ての二十日──年末の節目に静かに過ごす意味とは?

果ての二十日は、いわば“スピリチュアルな休息日”とも言える存在でした。

現代で言えば、スピリチュアルなデトックスデー、あるいは心身のメンテナンス日と言ってもいいかもしれません。年末の行事に追われる日々の中で、あえて「何もしない日」を設ける。

それは、ただの怠惰ではなく、自分自身と向き合い、新しい年を迎える前の“禊(みそぎ)”でもありました。古来の日本人は、「動の時」と「静の時」のバランスを重視してきました。

神事や祭事の前には「物忌み(ものいみ)」として静かな期間を設け、身を清めるという文化が根付いていたのです。

果ての二十日は、まさにその“静の象徴”。

災いを遠ざけるために静かに過ごす。

その行為そのものに、深い意味と敬意が込められていたのです。

果ての二十日に関するよくある質問

Q1. 現代でも「果ての二十日」は守られているのですか?
A. 都市部ではほとんど意識されていませんが、山間部や伝統行事が残る地域では、今も語り継がれている場合があります。

妖怪伝承や神事として、地元の小学校や地域資料館などで紹介されることもあります。

Q2. なぜ山に入ってはいけないのですか?
A. 果ての二十日は山の神が降臨する日とされており、人間が山に入ることが“神への無礼”になるとされていたためです。

また、自然環境の厳しさを「妖怪」などの象徴として伝えることで、安全への注意喚起の役割も担っていました。

Q3. この日を家族でどう過ごせばいいですか?
A. 特別な儀式は必要ありませんが、家の中で静かに過ごし、年末を迎える準備の手を少し止めて、心を整える時間にするのが理想的です。

テレビやスマホから少し離れて、昔話を家族で語り合ってみるのも良いかもしれません。

まとめ──果ての二十日は「心の余白」を思い出させてくれる日

12月20日「果ての二十日」は、忙しさと慌ただしさの中で忘れがちな“静けさ”と“慎み”を思い出させてくれる特別な一日です。

山の神や妖怪「一本だたら」の伝承を通じて、自然との関わり方や命の尊さを学ぶ機会でもあります。

目に見えない存在を敬い、心を整えて新たな年を迎える。

そんな日本人の繊細な感性と知恵が詰まった記念日です。

慌ただしい毎日の中で、少し立ち止まって自分自身と向き合う。

そんな贅沢な時間を、12月20日に過ごしてみてはいかがでしょうか。

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