航空安全の日(8月12日)はどんな日?
✅ 1985年の日本航空123便墜落事故を受け、安全な空の旅を守る誓いの日。
✅ 「茜雲忌」と呼ばれ、事故を悼み事故の日に浮かぶ茜色の雲が由来。
✅ 日本航空123便事故と航空業界の安全強化に貢献した関係者が深く関わっている。
8月12日。この日が持つ意味は、単なる日付の一部を超えて、日本の航空史における最も深い悲しみと誓いを込めた記念日です。
日本航空123便の墜落事故が発生した日として、この日は毎年、事故に関わるすべての人々の命を悼む日であり、航空安全の日として、私たちが安全な空の旅を守る決意を新たにする日でもあります。
日本航空123便墜落事故の深い記憶
1985年8月12日、東京の羽田空港を出発した日本航空123便は、大阪へ向けて飛行を開始しました。
搭乗していた乗客は520人、乗員は15人。飛行機は、定刻通りに飛び立ちましたが、たった12分後、相模湾上空で異常が発生しました。
機体後部の圧力隔壁に亀裂が入り、圧力が急激に変化したことで機体の構造が破損、尾翼が吹き飛ばされ、操縦不能に陥ったのです。
その後、18時56分、群馬県上野村の御巣鷹山に墜落。520人の命が奪われました。生存者はたった4人。
この衝撃的な事故は、私たちの心に今も鮮明に刻まれています。特に、夕方のラッシュ時とお盆の帰省ラッシュが重なり、多くの家族や友人がその悲劇の犠牲となりました。
犠牲者の中には、歌手・俳優の坂本九さんも含まれ、その名前を聞いただけで、当時のあの痛ましい光景が思い出されます。
茜雲忌の由来とその意味
「茜雲忌(あかねぐもき)」という言葉は、1985年の墜落事故から生まれた深い哀悼の意を込めた名称です。
事故の翌年、遺族らが集まり、事故を悼むために作られたメッセージ集が「茜雲忌」と名付けられました。
この名称には、事故が発生した8月12日の夕方に見られる「茜色の雲」が由来しています。
茜色の雲は、日が沈む直前に空を染め上げる美しい色ですが、それと同時に、事故の日に浮かぶその雲は、何とも言えぬ悲しみを感じさせます。
茜雲が空に広がるその瞬間、遺族たちは、その空に亡き人々を想い、静かに祈りを捧げます。
事故の直後から、茜雲忌は、犠牲者を悼むための儀式として大切にされています。
毎年、この日は茜色の雲を見上げながら、事故の被害者の無念を想い、今も深い哀しみの中で祈りが捧げられています。
事故の原因とその後の影響
事故後、事故原因についての調査が行われ、1987年に国の航空事故調査委員会から発表された報告書によれば、事故の原因は機体後部の圧力隔壁の破損が主な原因とされました。
これが航空機の構造的な欠陥に繋がり、その結果、尾翼が吹き飛ばされ、機体が完全に操縦不能となったのです。
さらに、この圧力隔壁の修理が不適切であったことも事故を引き起こした要因とされています。
この調査報告は、当時の航空機設計や整備の在り方に大きな衝撃を与え、その後、航空業界における安全対策や航空機の設計、整備基準の見直しが行われるきっかけとなりました。
航空安全の日としての取り組み
日本航空123便の事故を受けて、航空業界は多大な教訓を得ました。
事故を繰り返さないために、設計や整備だけでなく、航空安全に対する意識の向上が急務であることが認識されました。
航空安全の日は、そのための取り組みを強化するための日として位置づけられています。
事故がもたらした悲劇を繰り返さないために、航空会社や関係機関が連携し、より安全な航空運行を確立することを誓い、航空事故の再発防止に向けた努力が続けられています。
航空安全の日まとめ
8月12日は、日本航空123便墜落事故の記憶を風化させないための日です。
茜雲忌という言葉には、深い哀悼の意とともに、安全な空の旅を守り続けるための誓いが込められています。
この日を迎える度に、私たちは事故の悲しみを胸に、航空安全の重要性を再確認し、そのための取り組みをさらに強化し続けることを誓うべきです。
今日は何の日(8月12日は何の日)
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