新年宴会はどんな日?
✅ 1873年の太政官布告で1月5日が休日に
✅ 明治5年には宮中行事の記録が残る
✅ 皇族 文武高官 外国使臣が集う儀式
1月5日の「新年宴会」は、現在の国民の祝日ではありません。明治から昭和前期まで、宮中の新年行事と結びついていた旧祝祭日の一つです。
1873年10月14日の太政官布告第344号では、「新年宴会 一月五日」が年中の休暇日の一つとして定められました。翌1874年の1月5日から、現在の暦でこの休日を迎えたことになります。
興味深いのは、休日として定められる前から「新年宴会」という宮中行事が確認できる点です。
国立公文書館には、明治5年の新年宴会に関する公文書が残っています。ただし、明治5年は改暦前です。当時の「1月5日」を、そのまま現在の1月5日と考えることはできません。
その後、新年宴会は大正・昭和にも休日として引き継がれました。
1948年7月20日に「国民の祝日に関する法律」が施行されると、旧来の休日制度を定めた昭和2年勅令第25号は廃止されます。1月5日の新年宴会も、現在の「国民の祝日」には受け継がれませんでした。
新年宴会の由来|なぜ1月5日が旧祝祭日になったのか
新年宴会の背景には、宮中で新年を祝う古い儀礼があります。辞書資料では、かつて元日に行われた「元日の節会」を明治期に再興したものと説明されています。
明治5年には「新年宴会」という名称が用いられていたことも確認できます。
国立公文書館には、明治5年1月5日付の「新年宴会勅奏任官及華族奉陪判任以下酒饌下賜」という記録があります。
名称からも、勅任官や奏任官、華族などが関係する宮中行事だったことがわかります。つまり、新年宴会という行事そのものは、1874年に休日が始まる前から存在していました。
ここで注意したいのが「明治5年1月5日」という日付です。日本では明治5年11月9日に太陽暦の採用が布告されました。
旧暦の明治5年12月3日を、新暦の明治6年1月1日に改めるという大きな変更でした。現在と同じ暦で1月5日を考えられるようになるのは、1873年以降です。
その1873年10月14日、明治政府は太政官布告第344号を出しました。「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」と題された布告です。
元始祭は1月3日、新年宴会は1月5日、紀元節は2月11日という形で、年間の休日が具体的な日付とともに並べられました。
では、なぜ新年宴会は1月1日ではなく、1月5日なのでしょうか。宮中では年明け直後から複数の儀式が続いていました。
滋賀県が保存する明治期の資料にも、1月4日に「政始」、1月5日に「新年宴会」という日程が見えます。明治初期から、5日は新年行事の一連の流れに組み込まれていました。
1938年1月5日に掲載された宮内省の説明では、1月1日と2日に朝賀、3日に元始祭、4日に政始が行われるため、その後の5日に新年宴会を置いたとしています。
これは当時の宮内省による説明であり、1月5日という日付の意味を理解する手がかりになります。
新年宴会は明治だけの休日ではありません。1912年9月4日の大正元年勅令第19号でも、「新年宴会 一月五日」が休日として明記されました。
明治6年の太政官布告を廃止しながら、新しい休日制度の中で1月5日を残した形です。
昭和に入った1927年にも制度は続きます。昭和2年勅令第25号には、元始祭の1月3日に続いて、新年宴会の1月5日が記載されました。
1948年7月まで旧制度が存続したため、1948年1月5日が旧休日制度の下で迎えた最後の新年宴会の日となります。
新年宴会にまつわる興味深い背景|明治の正月と休日制度
新年宴会を知ると、現代の「祝日」と明治期の「祝祭日」が同じ仕組みではなかったことが見えてきます。
1873年の布告は「祭日祝日等ノ休暇日」を定めたものでした。一方、現在の「国民の祝日」という制度は、1948年の祝日法によって成立したものです。
つまり、「新年宴会は昔の国民の祝日だった」と表現すると少し不正確です。現在の法律上の「国民の祝日」が生まれる前の休日だからです。「旧祝祭日」や「旧制度の休日」と理解すると、歴史的な位置づけがわかりやすくなります。
もう一つ注目したいのが、1873年という時期です。日本では同年1月1日から太陽暦が使われ始めました。
前年までの太陰太陽暦から切り替わり、1年365日、1日24時間という現在につながる暦の仕組みが導入されています。
太陽暦への移行から約9か月後の1873年10月には、年間の祝祭日と休日も整理されました。暦を西洋式へ切り替える一方で、元始祭や新年宴会など宮中の行事が休日として配置されています。近代国家のカレンダーが形を整えていく時期に、新年宴会も制度化されたわけです。
宮中の正月は、1月5日だけを切り取って見るより、1日から続く日程で考えると理解しやすくなります。1938年の宮内省資料では、1日と2日に新年朝賀、3日に元始祭、4日に政始、5日に新年宴会が置かれていました。年明けの5日間が、異なる意味を持つ儀式で構成されていたのです。
新年宴会の当日には、当時の豊明殿などが舞台となりました。1938年の宮内省資料には、皇族のほか文武の高官、外国の大使や公使などが集まる様子が記されています。内閣総理大臣や外交使節が関わるため、単なる食事会とは性格が異なりました。
外交の場という側面も見逃せません。外国使臣が招かれ、年頭に宮中で顔を合わせる新年宴会は、国内の官僚だけを集めた儀礼ではありませんでした。明治以降の日本が外国との正式な外交関係を整える中で、宮中の新年行事にも国際的な性格が加わっていきます。
ただし、「休日だった期間は毎年必ず宴会が開かれた」と考えるのも正確ではありません。1938年の宮内省資料には、当時の情勢を理由として、その年の新年宴会を行わないことが記されています。休日としての制度と、実際に宴会が催されるかどうかは別の問題でした。
宮中の年始日程は、地方の官庁にも影響していました。滋賀県の歴史資料では、明治初期の県庁でも1月5日前後に年始行事が組まれています。1885年の資料では、5日を休暇とする変化も確認できます。中央の行事と地方行政の年間日程が結びついていた様子が伝わります。
一方、現代の一般的な「新年会」をすべて宮中の新年宴会から生まれたものとするのは慎重さが必要です。「新年宴会」という語そのものには、新年を祝う一般の宴会という意味もあります。宮中行事と民間の新年会を、単純な一つの起源で結ぶ必要はありません。
新年宴会と関係の深い人物・組織|太政官と宮内省
新年宴会について「誰が決めたのか」と尋ねるなら、中心になるのは明治政府の太政官です。1873年10月14日の太政官布告第344号によって、1月5日が新年宴会の休暇日として公的に定められました。個人が提唱して登録した現代型の記念日とは成り立ちが違います。
明治天皇の時代に制度化されたため、明治天皇と深く結びつく行事ではあります。ただし、「明治天皇が個人で1月5日を記念日に制定した」と表現するのは適切ではありません。確認できる制度上の根拠は、明治政府が出した太政官布告です。
宮中行事そのものに深く関係した組織が宮内省でした。1938年の宮内省資料では、新年宴会について、天皇が正装し、皇族や文武高官、外国使臣らが集う儀式として説明されています。新年を祝うと同時に、国家的な儀礼と外交の場でもありました。
参加者を見ると、新年宴会の特徴がさらに明確になります。皇族だけではなく、内閣総理大臣をはじめとする高官や外国の外交使節も加わりました。国語辞典でも、皇族、高位高官、外国使臣を招く1月5日の宮中儀式として説明されています。
大正時代には、宮内省から新年宴会への招待状も出されていました。国立国会図書館の憲政資料には、大正8年12月23日付で、翌1920年1月5日の新年宴会に招く宮内省の招待状が残っています。「1月5日」が宮中の公式日程として定着していたことを示す具体的な記録です。
現在、宮中では毎年1月1日に「新年祝賀の儀」が行われています。宮内庁によると、皇族のほか、衆参両院の議長、内閣総理大臣、国務大臣、最高裁判所長官、各国外交使節団の長などから、天皇陛下が新年の祝賀を受けられる儀式です。
旧来の新年宴会と現在の新年祝賀の儀は、法令上まったく同じ行事ではありません。それでも、皇族や国の主要機関の代表、外交使節が宮中で新年を祝うという構図には共通点があります。1月5日の旧祝祭日を知ると、現在の宮中新年行事を見る視点も広がります。
新年宴会に関するよくある質問
新年宴会はなぜ1月5日だったのですか?
1月5日は、宮中で続く年始行事の流れの中に置かれていました。1938年の宮内省資料では、1日と2日に朝賀、3日に元始祭、4日に政始があり、その後の5日に新年宴会を行う構成だったと説明されています。
明治初期の資料にも、4日に政始、5日に新年宴会という日程が確認できます。1873年10月14日の太政官布告で、1月5日は新年宴会の休暇日として正式に定められました。
新年宴会は誰が制定したのですか?
休日として1月5日の新年宴会を定めた主体は、明治政府の太政官です。根拠となるのは1873年の太政官布告第344号で、「新年宴会 一月五日」と明記されました。
そのため、特定の人物が新しい記念日を提唱したケースとは異なります。宮中行事としての新年宴会は休日指定より前から存在し、明治政府が1873年に年間休日の一つとして制度に組み込んだ、と整理するとわかりやすくなります。
新年宴会は現在も祝日なのですか?
現在の1月5日は、新年宴会を理由とする国民の祝日ではありません。1948年7月20日に「国民の祝日に関する法律」が公布・施行され、昭和2年勅令第25号は廃止されました。新しい祝日の一覧に「新年宴会」は含まれていません。
宮中の新年行事そのものがなくなったわけではありません。現在は毎年1月1日に「新年祝賀の儀」が行われています。皇族や三権の要人、都道府県関係者、各国外交使節団の長などが新年の祝賀を行う儀式です。
新年宴会から見える1月5日のもう一つの歴史
1月5日の新年宴会は、明治政府が1873年に休日として定め、大正・昭和へと引き継いだ旧祝祭日です。宮中行事そのものは、それ以前の明治5年にも記録が残ります。1948年に旧休日制度が廃止され、現在のカレンダーから「新年宴会」という祝日は姿を消しました。
この日をたどると、宮中の正月だけでなく、1873年の改暦や近代日本の休日制度まで見えてきます。1月3日の元始祭、4日の政始、5日の新年宴会という並びも、当時の正月を知る手がかりです。
現在の1月5日は普通の平日になる年もあります。それでも、かつては皇族や高官、外国使臣が宮中に集い、国の休日として新年を祝った日でした。何気ないカレンダーの日付にも、明治から昭和へ続いた制度の跡が残っています。
今日は何の日(1月5日は何の日)
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