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ハワイ移民出発の日(1月27日)とは?日本人初の海外移民の出航と歴史を徹底解説

ハワイ移民出発の日に関する歴史や背景、官約移民制度と日系人社会の形成を解説した記念日ブログ
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ハワイ移民出発の日(1月27日 記念日)はどんな日?

✅ 1885年1月27日、日本人初の官約移民946人が「シティ・オブ・トウキョウ号」でハワイへ向けて横浜港を出発した日。
✅ 厳しい労働環境の中でも、日本文化を守りながら異国の地で日系社会を築いた先人たちの出発点。
✅ 明治政府とハワイ王国の「日布移民条約」によって制度化された官約移民制度が大きく関わっている。

「ハワイ移民出発の日」は、遠く海を越えた希望と苦難の始まり

もしあなたが、日本を離れ、言葉も文化も異なる土地で暮らさなければならなくなったら……と想像してみてください。

それはきっと、不安と恐怖が入り混じる、未知への旅立ちでしょう。

1885年の1月27日、まさにそんな思いを胸に、946人の日本人が「シティ・オブ・トウキョウ号」に乗って、横浜港からハワイのホノルル港へと旅立ちました。

彼らは、明治政府とハワイ王国の間で締結された「日布移民条約」に基づく、いわゆる「官約移民」の第一陣です。

この日こそが、「ハワイ移民出発の日」と呼ばれる記念日であり、日本人が本格的に海外へと羽ばたいた歴史の原点なのです。

今では、世界中で活躍する日本人の姿が当たり前になっていますが、その礎を築いたのは、1世紀以上も前にハワイへ渡った無名の人々でした。

この記念日には、国境を越えた働き方、家族の在り方、そして異文化への適応など、現代にも通じる大切なメッセージが込められています。

「ハワイ移民出発の日」の由来と、横浜港から始まった日本人移民の物語

「ハワイ移民出発の日」は、1885年(明治18年)1月27日、日本から最初の官約移民団がハワイに向けて出発したことに由来しています。

当時のハワイ王国では、砂糖産業の発展に伴い、農園で働く労働者が慢性的に不足していました。

もともとはポルトガル人や中国人、ノルウェー人などが労働力として導入されていましたが、距離やコストの問題から、アジアからの移民がより重宝されるようになります。

そこで登場したのが、日本人労働者でした。日本政府は、国内の農村部での困窮や失業者の増加を背景に、海外移民を推進。

ハワイ王国との交渉の末、「日布移民条約」が結ばれ、政府主導の「官約移民」がスタートしました。

このとき、公募された移民の数は600人。ところが、募集には28,000人もの応募が殺到します。

それほどに、当時の人々は「ハワイ」という異国の地にチャンスと希望を見ていたのです。

最終的に選ばれたのは946人。彼らは、アメリカ船籍の「シティ・オブ・トウキョウ号」に乗り、1月27日に横浜港を出航。

航海は約3週間に及び、ハワイ・オアフ島のホノルル港へと到着します。こうして、日本人のハワイ移民の歴史が幕を開けました。

ハワイ移民出発の日に隠された、涙と苦しみの現実

「官約移民」として出発した日本人たちは、当初「3年間で400万円稼げる」といった夢のような条件で募集されました。

ところが、待っていたのは過酷な労働と想像を超える苦難の日々でした。主に従事したのは、炎天下のサトウキビ畑での重労働。

1日10時間以上働き、休みは週にたった1日。給与は月に10ドル程度で、そこから食費や住居費、日用品などを差し引かれると、手元に残るのはわずかでした。

現場では「ルナ」と呼ばれる監督が鞭を持って労働者を監視し、言うことを聞かなければ体罰が加えられることもありました。

このような状況は、現代で言う「ブラック労働」や「人身売買」に近いもので、移民たちは「奴隷のようだ」と語った記録も残っています。

病気や怪我で働けなくなれば、収入はゼロ。慣れない食事、異なる気候、言葉も通じない中で、多くの人が命を落としました。

しかし、彼らはそれでも必死に働き続けます。自分の家族を日本に残し、「いつか帰国して家族と豊かに暮らす」という希望を胸に抱きながら。

異国で根付いた日本文化と、日系社会の発展

厳しい状況の中でも、日本人移民たちはハワイの地で日本文化を守り育てていきました。

彼らが持ち込んだのは、仏教や神道、儒教、道教などの宗教だけではありません。寺子屋のような日本語学校、伝統行事、料理、着物、盆踊り、相撲大会など、日本の文化はハワイのあちこちに根付いていきます。

また、仏教寺院は単なる宗教施設ではなく、コミュニティの中核となりました。

そこでは日本語の授業、ボーイスカウト、合唱団、講演会、バザーなどが行われ、移民たちの心の拠り所として機能していきます。こうした文化的土台があったからこそ、のちに生まれた2世、3世も「自分が何者か」を見失わずに育つことができたのです。

現在のハワイには、多くの日本語学校や仏教寺院が残り、年に一度の「盆ダンス」や「太鼓フェスティバル」は、日系人だけでなく地元の人々にも親しまれる行事になっています。

ハワイ移民出発の日に関わった人々と制度

この記念日には、日本とハワイの政府の協力が不可欠でした。

日本側では、外務省や内務省が中心となり、移民制度の法整備を行いました。移民には医師や通訳も同行し、移動中や現地でのサポート体制が整えられました。

ハワイ側では、当時のカラカウア王が日本からの移民に前向きで、移民受け入れを国家事業として推進しました。移民斡旋は1894年以降、民間へと委託され、以後は「自由移民」としての渡航が増加します。

その後の数十年で、日本からハワイへ渡った移民は20万人を超え、日系社会は政治・経済・文化の各分野で存在感を強めていきました。

ハワイ移民出発の日に関するよくある質問

Q1:官約移民と自由移民の違いは何ですか?
A:官約移民は政府主導で契約のもとに派遣された移民で、労働条件や生活支援が制度化されていました。自由移民は1894年以降、民間の斡旋によって個人の意思で渡航した移民を指します。

Q2:現在のハワイには日系人はどれくらいいますか?
A:現在、ハワイ州の総人口の約15%以上が日系人であり、日系文化が根強く残る州として知られています。

Q3:ハワイ移民出発の日はどこで記念されていますか?
A:横浜の港近辺やハワイ・ホノルルの日本文化センターなどで、移民記念式典や展示会が行われています。

ハワイ移民出発の日から学ぶ、今を生きる私たちへのメッセージ

ハワイ移民出発の日は、ただの歴史的出来事の記念日ではありません。

それは、日本人が初めて本格的に海外で「生きる」ことを選び、文化を育て、社会に溶け込んでいった、その始まりの象徴です。

先人たちが体験した苦しみや喜び、そして築き上げたものは、今を生きる私たちのヒントにもなるはずです。

働くことの意味。

家族を思う気持ち。

異なる文化とどう向き合うか。

そのすべてが、この記念日の中に詰まっています。

だからこそ、1月27日――ハワイ移民出発の日は、未来を見つめ直すための特別な一日として、私たちの心に刻まれているのです。

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