清水トンネル貫通記念日(12月29日)はどんな日?
✅ 1929年(昭和4年)12月29日に清水トンネルが貫通し、上越線全通の基礎が築かれた重要な日。
✅ 川端康成の小説『雪国』冒頭の「国境の長いトンネル」が清水トンネルを指すことでも有名。
✅ JRが販売するミネラルウォーター「From AQUA」の源水が、大清水トンネル工事中に発見された湧き水。
まるで物語の始まりのような日、それが12月29日「清水トンネル貫通記念日」
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
文学史に残るこの一文は、日本の風景と感情を見事に切り取った名文です。
しかし、ただの詩的な描写ではなく、これは実在する「清水トンネル」を通ったときの印象をもとに書かれたもの。
そんな清水トンネルが、初めてその長い道を貫いたのが、1929年(昭和4年)12月29日。
この日は「清水トンネル貫通記念日」とされ、日本の鉄道史、土木技術史、そして文化史においても、特別な意味を持つ日です。
トンネルが貫かれた瞬間、それは単に地形を越えたというだけでなく、人と人を、地域と地域を、そして文化と未来をつないだ一瞬だったのです。
今回は、その記念日にまつわる背景や、知られざる魅力、トリビアなどをたっぷりと紹介していきます。
清水トンネル貫通記念日|その舞台裏には、7年と240万人の汗と祈りがあった
清水トンネルは、群馬県利根郡みなかみ町の土合駅と、新潟県南魚沼郡湯沢町の土樽駅を結ぶ、上越線の中でも特に難所とされた区間に位置しています。
当時、関東と日本海側をつなぐ鉄道として重要視されていた上越線。
しかし、越後山脈という大障壁が立ちはだかっており、ここを越えるには、前代未聞の長大トンネルが必要とされていました。
その全長、9,702メートル。
今では当たり前に感じる距離かもしれませんが、1920年代という時代背景では、日本最長かつ最大級の難工事。
当時の技術では簡単に掘削できず、工事には実に7年の歳月がかかりました。
作業に携わった人の数は、なんと延べ240万人以上。
猛暑、豪雪、落盤、ガスの噴出…。
山奥という厳しい環境で、危険と隣り合わせの作業が繰り返され、命を落とした作業員も少なくありません。
それでも、1929年12月29日、ついにトンネルが貫通。
冬の終わりが見えぬ頃、厳寒の中で掘り進めたその先に、地中の闇をつらぬく一筋の光が差し込んだ瞬間、現場にいたすべての人々が静かに涙したといいます。
清水トンネル貫通記念日の豆知識|3本の清水トンネル? From AQUA誕生秘話も
「清水トンネル」と一言で言っても、実はこのエリアには3本の清水トンネルが存在します。
1つ目は、今回の記念日に関わる1931年に開通した在来線用の清水トンネル。
2つ目は、1967年に新たに掘られた、下り線専用の新清水トンネル。
そして3つ目が、1982年に開通した新幹線用の大清水トンネルです。
これらはそれぞれ時代に応じた鉄道の発展と共に建設されており、**「技術の進化の系譜」**として現在も並行して使われています。
そしてこの大清水トンネルの工事中に、ある偶然が起きました。
掘削中に大量の天然の湧き水が湧き出したのです。
当初は処理に困った存在だったこの湧水。
しかし、当時の作業員が飲んでみると「まるで雪解け水のように澄んでいて、美味しい」と話題に。
その後、国鉄(現・JR)の職員たちが試行錯誤の末、トンネルの外まで手作業でパイプを通し、湧き水を引き出すことに成功。
そして生まれたのが、今もJR駅構内などで販売されているミネラルウォーター「From AQUA」です。
あなたがペットボトルで口にするその一滴が、かつて地中深くの難工事の現場で偶然発見された自然の恵みだということ。まさにロマンあふれる話ではないでしょうか?
清水トンネル貫通記念日と深く関わる人々・団体
この記念日を語る上で欠かせないのが、国鉄(日本国有鉄道)とその技術者たちです。
清水トンネル建設は、当時の土木・建設技術の粋を集めた国家的プロジェクトでした。
担当した技術者たちは、地質や気象の予測も困難な中で、実地での対応を迫られる連続。
中には地質調査のために実際にトンネル内を歩いて確認していたエピソードもあるほどです。
また、文学面で深く関わるのが、作家・川端康成。
彼の代表作『雪国』は、清水トンネルを抜けた瞬間に広がる「雪に覆われた越後の世界」を描写することで、読者を一気に物語へと引き込みます。この情景は、実際に彼がトンネルを通った際の印象が強く反映されているといわれています。
「トンネルの向こうに別世界がある」
そんな感覚は、当時の鉄道旅を知る人々にとって、まさに共感できるものだったのです。
清水トンネル貫通記念日に関するよくある質問
Q1. なぜ「貫通日」が記念日になっているのですか?
清水トンネルの「貫通」とは、掘り進めていた2方向が中央でつながった瞬間のことです。
それが1929年12月29日に達成され、日本の鉄道史に残る大きな節目となりました。
Q2. 「清水トンネル」は今でも使われているの?
はい、1931年に開通した清水トンネルは現在も上越線の一部として利用されています。
さらに、新清水トンネル、大清水トンネルもそれぞれ別路線・用途で現役稼働中です。
Q3. 「From AQUA」の水源って本当にトンネル内?
本当です。
1982年に開通した大清水トンネルの工事中に発見された湧き水が水源です。
「トンネルから生まれた水」という珍しさから、駅構内などで人気を博しています。
清水トンネル貫通記念日 まとめ|トンネルは「道」ではなく、「物語」を通す
清水トンネル貫通記念日は、単なる工事の成功を祝う日ではありません。
そこには、時代を越え、文化を越え、人の思いをつなぐ力が込められています。
当時の人々の苦労と技術がつくり出した道は、やがて文学作品へと昇華され、さらには地元の水という形でも私たちの生活に息づいています。
トンネルを抜けた先に見える雪景色。それは、過去と未来、そしてあなた自身の心を映す「鏡」なのかもしれません。
もし機会があれば、清水トンネルを実際に通ってみてください。ただの移動手段ではなく、時代の断面を走る体験が、きっと待っているはずです。
