ノーベル賞授賞式(12月10日 記念日)はどんな日?
✅ アルフレッド・ノーベルの命日にあたり、ノーベル賞の授賞式が世界各国で行われる日。
✅ 授賞式はストックホルムとオスロで行われ、平和賞だけはノルウェーが選出・主催するという独特な構造。
✅ アルフレッド・ノーベル、ノーベル財団、スウェーデン・ノルウェーの各機関が深く関わる記念日。
栄誉と平和の象徴「ノーベル賞授賞式(12月10日)」とは?
年末が近づく12月、世界中の注目が一つの舞台に集まります。
それが「ノーベル賞授賞式」。
多くの人にとっては、「ニュースでよく見る世界的な賞」というイメージかもしれません。
でも、なぜその授賞式が“12月10日”に行われるのか、考えたことはありますか?
そして、その日に秘められた“ある人物の想い”や“平和への願い”を知れば、この記念日がもっと身近で、もっと特別な日に感じられるはずです。
この記事では、ノーベル賞授賞式の由来や感動の背景、日本との関わり、平和賞の意味まで、まるで物語のように丁寧に解説していきます。
今後、ニュースで受賞者が報じられるたびに、ちょっと誇らしく、心が温まる…そんな“見方”が変わるきっかけになるはずです。
なぜ12月10日?ノーベル賞授賞式(12月10日)の由来にある深い意味
ノーベル賞の授賞式が「12月10日」に行われるのには、明確な理由があります。
それは、この日がノーベル賞の創設者、アルフレッド・ノーベルの命日だからです。
ノーベルは1833年、スウェーデンで生まれました。
彼は爆薬「ダイナマイト」の発明により世界的な富を築きましたが、ある新聞記事をきっかけに心を痛めます。
その記事のタイトルは、「死の商人、死す」。
実は、誤って彼の兄が亡くなったときに、新聞社がノーベル本人と勘違いして書いた記事でした。
そこに書かれていたのは、「破壊の象徴としてのノーベル」の姿。
この出来事が、彼の人生観を大きく変えました。
「自分が死んだとき、人々に平和と進歩の象徴として記憶されたい」
そう強く思ったノーベルは、亡くなる1年前の1895年、遺言にこう記します。
「人類に最大の貢献をした人物に、私の遺産から賞を贈ること」
彼の死は1896年12月10日。
この日が、ノーベル賞授賞式の日として選ばれたのは、彼の意思を称え、その想いを未来へと伝えるためなのです。
ノーベル賞授賞式(12月10日)の舞台裏:ストックホルムとオスロに分かれる理由
ノーベル賞の授賞式は、実は1か所だけで行われているわけではありません。
賞の種類によって、スウェーデンのストックホルムとノルウェーのオスロという、2つの国と都市で開催されます。
この分け方には、ちょっと意外な歴史が関係しています。
かつてスウェーデンとノルウェーは「スウェーデン=ノルウェー連合王国」として一つの国だった時代がありました。
ノーベルはこの連合王国の中で育ち、「平和賞はノルウェーに任せる」と遺言に書き残します。
そのため、現在でも平和賞だけはノルウェーのオスロ市庁舎で授賞式が行われ、他の賞(物理学、化学、生理学・医学、文学、経済学賞)はスウェーデンのストックホルムで実施されています。
これが、ノーベル賞が「国をまたぐ世界規模の賞」として特別視される理由のひとつなのです。
ノーベル賞授賞式(12月10日)の舞台で贈られるものとは?
受賞者が手にするのは、名誉だけではありません。
実は、3つの大切なものが授与されます。
1. ノーベル賞メダル
それぞれの分野にデザインがあり、表面にはアルフレッド・ノーベルの肖像が刻まれています。
18金で作られた重厚なメダルは、手に取るだけで歴史の重みを感じさせます。
2. 賞状(ディプロマ)
手書きの美しいカリグラフィーで受賞理由が記され、まるで美術品のような一枚です。
受賞者の名前が大きく書かれたこの賞状は、彼らの人生の誇りとなります。
3. 賞金
金額は年によって異なりますが、2024年の時点で、約1億4000万円(約100万ドル相当)の賞金が贈られました。
この賞金は、ノーベルの遺産とノーベル財団の運用益から支払われています。
ノーベル賞授賞式(12月10日)と日本人受賞者:誇り高き記録
日本は、ノーベル賞の常連国のひとつと言っても過言ではありません。
物理学や化学、生理学・医学賞を中心に、数多くの日本人がその栄光を手にしてきました。
2024年までに、29人の日本人がノーベル賞を受賞しています。
ここでは、特に記憶に残る日本人受賞者の例を紹介します。
川端康成(1968年・文学賞)
「雪国」「千羽鶴」などの美しい日本語表現で、日本文学の美を世界に広めた功績が認められました。
「日本人として初のノーベル賞受賞者」という偉業は、日本中に大きな誇りをもたらしました。
大村智(2015年・生理学・医学賞)
寄生虫による感染症「オンコセルカ症」の治療薬を開発し、数億人の命を救った医療貢献が評価されました。
彼の研究は、まさに「人類に貢献する」というノーベルの理想にふさわしいものです。
被爆者団体・日本被団協(2024年・平和賞)
日本からの団体として初のノーベル平和賞受賞。
原爆の悲惨さを訴え続け、核兵器廃絶を国際社会に訴えてきたその姿勢が、ついに世界に認められました。
ノーベル賞授賞式(12月10日)の裏側:選考の流れとその厳格さとは?
「どうやってノーベル賞は選ばれているの?」と疑問に思ったことはありませんか?
実は、ノーベル賞の選考は、非常に厳格で長い時間をかけて行われています。
毎年、世界中の大学や研究機関、専門家に「推薦依頼書」が送付されます。
推薦できるのは限られた立場の人だけで、誰でも応募できるわけではありません。
その後、集まった推薦をもとに、各分野の選考委員会が慎重に審査を重ねます。
候補者の業績を検証するだけでなく、その影響力や社会的貢献、倫理性までも評価対象になります。
受賞者が決まるのは、毎年10月上旬。
そこから12月10日の授賞式までに、発表・準備が一気に進められるのです。
このプロセスが、ノーベル賞の“信頼性”と“権威性”を支えている大きな要素といえるでしょう。
ノーベル経済学賞は遺言にない?追加された賞の知られざる歴史
現在、ノーベル賞は「6部門」が存在しています。
しかし、ノーベルの遺言には実は**5部門(物理学・化学・生理学医学・文学・平和)**しか書かれていません。
では、「経済学賞」はどこからきたのでしょうか?
その答えは、1968年にスウェーデン国立銀行がノーベルの死後70周年を記念して創設した、「経済学賞」にあります。
正式名称は、
「スウェーデン国立銀行賞 経済学の分野におけるノーベル記念賞」
です。
ノーベル賞の1部門のように扱われていますが、ノーベル自身の意思によるものではないのです。
それでも、ノーベル財団の認可を得て、他の賞と同じプロセス・同じ日程で授賞されており、現在では広く認知されています。
ノーベル賞授賞式(12月10日)にまつわるちょっと意外なエピソード
世界が注目するノーベル賞には、感動や驚きが詰まった小さなストーリーがいくつも存在します。
ここではその中から、誰かに話したくなるエピソードを3つご紹介します。
ノーベル賞の受賞を辞退した人がいる?
実は、過去にノーベル賞の受賞を辞退した人物がいます。
フランスの哲学者・作家 ジャン=ポール・サルトル(1964年・文学賞)は、「いかなる公的な栄誉も受けない」という信念のもと、辞退を表明しました。
授与自体は無効にならず、名簿には彼の名前が残り続けています。
夫婦で受賞、親子で受賞もある!
キュリー夫妻(マリー&ピエール)は、放射能の研究で共同受賞(1903年・物理学賞)。
さらに娘のイレーヌ・ジョリオ=キュリーも後に化学賞を受賞し、**「親子三代ノーベル賞受賞者」**という稀有な記録を残しました。
授賞式に“欠席”する受賞者もいる
ノーベル賞は世界的な栄誉ですが、個人の信念や健康上の理由で授賞式に出席しないケースもあります。
近年では新型コロナウイルスの影響により、多くの受賞者が「リモート参加」となりました。
形式が変わっても、「想い」は変わらない——それもまた、ノーベル賞の尊さです。
ノーベル賞授賞式(12月10日 記念日)に関するよくある質問
Q1. 授賞式の様子は誰でも見られるの?
はい、授賞式の様子は毎年ライブ配信されており、誰でもインターネット上で視聴できます。
日本語字幕付きの解説もある年が多く、一般の人でも楽しめます。
Q2. 平和賞だけなぜノルウェーで行うの?
アルフレッド・ノーベルの遺言により、平和賞のみノルウェーが選考・授賞を担当するよう定められたからです。
スウェーデンとノルウェーは当時連合王国であり、政治的中立性を考慮したものと考えられています。
Q3. 受賞者はスピーチをするの?
はい、授賞式では受賞者全員がスピーチを行います。
多くの受賞者が、自らの研究や活動への想い、支えてくれた人々への感謝、そして未来への希望を語ります。
涙ながらに語る姿や、ユーモアを交えたスピーチは、見る者の心を打ちます。
ノーベル賞授賞式(12月10日 記念日)は、平和と希望の灯
ノーベル賞授賞式(12月10日 記念日)は、世界中の優れた功績を称えるだけでなく、未来に希望の光を灯すセレモニーです。
この記念日は、ただの“受賞の場”ではありません。
アルフレッド・ノーベルの遺志、受賞者たちの努力と情熱、そして人類が「より良い世界を目指す意思」が、ひとつに交わる奇跡のような瞬間です。
あなたもぜひ、12月10日には心の中で拍手を送ってみてください。
たとえ遠く離れていても、その想いはきっと、誰かの未来へと届くはずです。

