七五三(11月15日 年中行事)はどんな日?
✅ 七五三の由来は、1681年に徳川綱吉が息子・徳松の健康を願った行事が起源とされる。
✅ 七五三は「髪置き」「袴着」「帯解き」という通過儀礼を行う成長の節目の行事。
✅ 徳川綱吉、徳松、そして全国の神社・写真館・和装業者が深く関わっている。
家族の祈りと文化が重なる、七五三という「小さな成人式」
11月15日と聞いて、何を思い浮かべますか?
秋の深まりを感じる季節、紅葉狩り、あるいは文化祭や受験シーズン。
でも、日本人にとって、この日は少し特別な意味を持っています。
それが「七五三」。
3歳・5歳・7歳の子どもたちが晴れ着をまとい、神社に参拝して成長を祝う、日本古来の行事です。
愛らしい着物姿で千歳飴を手にする姿は、親としての感慨深さもひとしお。
ただ、可愛らしいイベントというだけではありません。
この行事の背景には、親の深い愛情と、命をつなぐ祈り、そして文化としての厚みがあります。
本記事では、「七五三」とは一体どのような日なのか、その由来や儀式の意味、豆知識や関わる人物、そして現代にどう受け継がれているのかを、わかりやすく、そして心に響くようにお伝えしていきます。
七五三(11月15日 年中行事)の由来は、将軍の息子を想う父の祈りから
七五三の起源は、江戸時代の天和元年(1681年)にまでさかのぼります。
この年の11月15日、館林藩主だった徳川綱吉が、長男・徳松の健康を祈願して、特別な儀式を執り行いました。
この徳松は、後の第5代将軍となる綱吉の大切な跡継ぎでしたが、体が弱く、病弱だったと伝えられています。
綱吉は父としての強い願いを込め、当時の風習と信仰を融合させ、神に息子の無事を祈りました。
この祈りの儀式が、やがて武家や貴族の間に広まり、徐々に庶民の文化へと浸透していきました。
また、なぜ11月15日なのかというと、いくつかの理由があります。
まず旧暦の11月は「実りの月」とされ、一年の収穫を神に感謝する時期でした。
そして15日は「鬼宿日(きしゅくにち)」と呼ばれ、「鬼が出歩かない吉日」として、結婚式や子どもの祝い事に最適とされていました。
このような暦の縁起の良さも相まって、11月15日が七五三の定番日として定着したのです。
七五三(11月15日 年中行事)に込められた意味と3つの通過儀礼
七五三は、子どもの健やかな成長を祝う行事ですが、ただ年齢を祝うだけではありません。
それぞれの年齢ごとに意味のある通過儀礼が存在します。
これは、まるで人生のマイルストーンのように、子どもたちが社会の一員として一歩ずつ成長していく過程を示しています。
3歳:髪置き(かみおき)
江戸時代までは、赤ん坊は衛生上の理由から髪を剃るのが一般的でした。
しかし3歳になると、髪を伸ばし始めることが許され、これを「髪置きの儀」として祝いました。
髪を置く=命をつなぐ、という意味合いもあり、生命力や家系の継承を象徴しています。
5歳:袴着(はかまぎ)
5歳の男の子が初めて袴を着用するのが「袴着の儀」です。
これは一人の男性として社会に踏み出す第一歩であり、武士の子であれば、この時から家系の後継者としての意識を持たせました。
現在でも、5歳男児の凛々しい羽織袴姿は、見る者の心を打ちます。
7歳:帯解き(おびとき)
7歳になると、女の子はこれまで使っていた紐で結ぶ子ども用の着物から、大人と同じ「丸帯」を使うようになります。
これは、女性としての自立と成長を象徴する大切な儀式で、「帯解きの儀」と呼ばれています。
華やかな着物に包まれた少女は、まるで小さなレディのように凛とした姿を見せてくれます。
このように、七五三は「ただのお祝い」ではなく、子どもの命を無事につないできたことへの感謝と、これからの人生に向けた祈りをこめた日本らしい通過儀礼なのです。
千歳飴にこめられた、親の願いと日本文化の美しさ
七五三の風景の中でも、特に目を引くのが「千歳飴(ちとせあめ)」です。
紅白の細長い飴を、鶴や亀、松竹梅など縁起の良い柄が描かれた袋に入れて、子どもたちは手にします。
この飴には、「千年の寿(いのち)」の願いが込められています。
つまり、千歳飴とは単なるお菓子ではなく、「長生きしてね」「元気でいてね」という親から子へのメッセージなのです。
なぜ細長いかというと、人生も健康も「細く長く」が理想だから。
また紅白は、祝い事に用いられる色であり、調和と幸福を象徴しています。
千歳飴の始まりは江戸時代後期とも言われ、浅草の飴職人が考案したという説もあります。
以来、七五三の定番となり、今も神社の境内や和菓子屋さんなどで買うことができます。
パッケージデザインも年々進化しており、和柄からキャラクター入りまで多彩。
けれど本質は変わりません。
親が子の未来に想いを馳せ、形にして手渡す、そんな優しさが詰まった「祈りのお菓子」なのです。
現代の七五三事情 〜写真・SNS・地域差と多様な祝い方〜
現代の七五三は、昔とは少し形を変えてきています。
一番大きな変化は、「いつ祝うか」が柔軟になったことです。
かつては11月15日が基本でしたが、現在は10月中旬から11月末までの間で、家族の都合に合わせて行われることが一般的になっています。
土日祝日に合わせたり、写真スタジオの予約状況を見て調整する家庭も多いです。
また、写真撮影もイベントの大きな柱のひとつ。
今では、着付け・ヘアメイク・撮影がセットになった「フォトプラン」が大人気。
和装だけでなく、洋装も用意されていて、まるでモデルのような写真が残せます。
さらにSNSの発達により、家族や友人と写真を共有することで、祝福の輪が広がるのも現代らしい特徴です。
地域によっては、神社の儀式に参加する場合もあれば、自宅で写真だけ撮ってお祝いするスタイルもあります。
「正解」はひとつではなく、家族ごとに「我が家流」の七五三が生まれているのです。
七五三(11月15日 年中行事)に深く関わる人物と団体
七五三という文化の源流をたどると、必ず出てくるのが徳川綱吉とその息子・徳松です。
徳川綱吉といえば、儒教思想を重視し「生類憐れみの令」を制定した将軍として知られていますが、その一方で、息子を思う父としての顔も持っていました。
体の弱かった徳松を思い、吉日を選び、神に祈った。
この行為が、後の七五三という大きな文化へとつながるのです。
また、現代において七五三文化を支えるのは、全国の神社・仏閣、そして写真スタジオや着物レンタル業者です。
とくに神社本庁や大規模な神社では、七五三のための特別祈祷を用意しており、予約制で受け付けることもあります。
一方、フォトスタジオ業界では、毎年この時期は最も忙しいシーズン。
中には、七五三のためのセットやスタジオ背景を準備し、プロのスタッフがフルサポートするところも。
衣装に関しても、伝統的な着物はもちろん、現代風にアレンジされたデザインや、ブランド和装など、バリエーションが非常に豊富です。
また、関連する記念日として、日本記念日協会が制定した「青春七五三」(5月15日)もあります。
これは、七五三から10年後の13歳・15歳・17歳の子どもたちにエールを送るという、新しい形の成長の祝いです。
七五三という文化は、伝統に根差しつつ、時代と共に柔軟に形を変えながら続いているのです。
七五三(11月15日 年中行事)に関するよくある質問
Q1:兄弟で年齢が違う場合、一緒に七五三をしてもいいの?
A:はい、問題ありません。むしろ兄弟そろって祝うことで、より一層記念になります。写真館や神社でも対応してくれるところが多いです。
Q2:七五三は数え年?満年齢?どちらで祝うのが正解?
A:どちらでも大丈夫です。昔は数え年が主流でしたが、現在は満年齢で祝う家庭も増えています。家族の判断や地域の風習に合わせましょう。
Q3:千歳飴はいつ・どこで買えるの?
A:10月〜11月にかけて、神社の境内や和菓子屋、百貨店、オンラインショップなどで購入できます。袋付きで販売されることが多く、記念にもなります。
七五三(11月15日 年中行事)は、家族の「ありがとう」と「これから」への贈り物
七五三は、日本の伝統行事の中でも、親子の愛情が色濃く表れる特別な日です。
1681年に、徳川綱吉が息子・徳松の健康を祈ったその心は、時代を超え、形を変えながら、今も私たちの暮らしに息づいています。
子どもが成長し、社会へ踏み出す節目を、家族全員で祝い、願いを込めて過ごす。
それは、目に見えないけれど、かけがえのない「絆」を確かめ合う時間です。
千歳飴を手にするその小さな手に、未来の可能性がぎゅっと詰まっています。
何百年も前から続く祈りの文化に、今この瞬間、自分たちも参加しているのだと思うと、心が温かくなります。
子どもたちの成長を願いながら、今日という一日が、家族にとって一生の宝物になりますように。

