俳句が教えてくれるもの——それは、ほんの小さな風景の中に宿る大きな感情です。
そんな俳句の世界に、一生を捧げた一人の男がいました。
その名は秋元不死男(あきもと ふじお)。
彼の命日である7月25日は「甘露忌(かんろき)」と呼ばれ、今も多くの人に静かに愛され続けています。
「甘露忌」は、彼が残した句集『甘露集』に由来する名です。
この句集には、戦争や弾圧という過酷な時代を生きた不死男の、穏やかで、けれども強い心が宿っていました。
俳句は五・七・五のたった17音。
しかし、その中に込められた思いは、人生の深さや人の温もりを教えてくれます。
甘露忌は、そんな俳句とともに生きた不死男の人生を、いま一度静かに見つめ直す日なのです。
✅俳句界に革命をもたらした人物
✅善意と庶民性にあふれた作風
✅遺作『甘露集』にちなむ命日
甘露忌(7月25日)とはどんな日?秋元不死男の生涯を刻む記念日
「甘露忌」は、1977年(昭和52年)7月25日、秋元不死男が75歳でこの世を去ったことにちなんで設けられた記念日です。
「不死男忌」と呼ばれることもありますが、より多く使われているのが「甘露忌」。
その由来は、不死男が亡くなる年に遺作として発表した句集『甘露集』にあります。
この「甘露」という言葉には、仏教における甘い霊水、つまり「救いや癒しの象徴」といった意味があります。
不死男の人生も、俳句に捧げた生涯そのものが、読者にとっての「甘露」のような存在でした。
彼の俳句には、誰かを裁いたり、上から目線で風景を切り取ったりするようなところがありません。
代わりにそこには、弱きものへの視線、日常のかすかな喜び、人々の営みに対する静かな尊敬が宿っています。
このような精神性が、現代にも通じるヒューマニズムとして評価されているのです。
甘露忌に知っておきたい秋元不死男の略歴とその背景
秋元不死男は1901年(明治34年)11月3日、神奈川県横浜市中区元町で生まれました。
実家は漆器の輸出業を営む商家で、裕福な家庭に育ちましたが、13歳で父を亡くし、若くして働きに出ることになります。
16歳で横浜火災海上保険会社に入社。
ここで俳句と出会い、社内の「渋柿派」と呼ばれるグループの影響を受けながら、その才能を磨いていきました。
その後の師匠・嶋田青峰との出会いは、彼の人生を決定づけます。
俳句雑誌『土上』での投稿から始まり、1930年代には新興俳句運動に参加。
ここで西東三鬼や山口誓子といった著名な俳人たちとともに、従来の俳句の枠を壊し、新しい地平を開く活動を展開しました。
しかしその後、「京大俳句事件」として知られる言論弾圧の嵐に巻き込まれ、彼も検挙・拘留されます。
それでも彼は俳句を捨てず、戦後には新俳句人連盟を通じて「平和と民主主義」を俳句の中に込め続けました。
秋元不死男の代表的な俳句とその魅力
秋元不死男の俳句の特徴は、形式の美しさではなく、「人間そのもの」にあります。
以下に、彼の代表句とその魅力を紹介します。
春の雪 沈丁咲いて をんな行く
春の柔らかな雪と、香る沈丁花。そこを通り過ぎる一人の女性。
一枚の絵画のような情景と、どこか哀愁を感じさせる作品です。
びんぼうな靴がよく鳴る桜道
貧しさを恥じず、春の桜の下を歩く足音。
庶民へのまなざしが優しい一句です。
八月の嵐が抜けて父死にき
嵐と死という二つの出来事を重ねた句。
言葉の少なさの中に、強烈な感情が詰まっています。
魚屋の氷やすでにうら寂し
日常の一コマから、季節の移ろいと人の心の寂しさを感じさせます。
夕空に洗濯ばさみの影ゆるぶ
戦後の庶民の暮らしを、見事に詩へと昇華させた一句。
その簡素な言葉の裏に、豊かな想像力を掻き立てられます。
これらの句には、技巧的な派手さこそないものの、誰の心にも届く力があります。
甘露忌と「新興俳句運動」——弾圧と自由のあいだで
秋元不死男が関わった「新興俳句運動」は、俳句界の大きなうねりでした。
それまでの俳句は、季語や形式に厳しく縛られていた時代。
そんな中で、もっと自由に、もっと社会を反映する俳句を作ろうとしたのが新興俳句運動です。
不死男はこの運動に共鳴し、西東三鬼、富澤赤黄男、石田波郷などとともに活躍します。
しかし、政府はこの運動を「反体制的」と見なして弾圧。
1941年の「京大俳句事件」で多くの俳人が逮捕され、不死男も例外ではありませんでした。
投獄生活は約2年。
その経験は彼の作品に暗さを与えることはなく、むしろ「静かなる強さ」として昇華されていきました。
甘露忌の意義:なぜ今も俳人たちは不死男を偲ぶのか?
今も各地の俳句結社では、7月25日前後に秋元不死男を偲ぶ会が開かれています。
彼の句を読み返し、自らも一句を詠む。
その文化は、彼が生涯をかけて広めた「句を通じて心を通わせる」という思想にほかなりません。
また、近年はSNS上でも #甘露忌 や #秋元不死男 というタグが見られ、現代の俳人や俳句ファンにも彼の精神は息づいています。
甘露忌に関するよくある質問
Q1. 甘露忌はどうやって過ごすのが正しい?
A. 正式な形式はありませんが、不死男の句を読む、句集を手にする、自分で一句詠んでみるなどがよく行われます。
Q2. 甘露忌はどこで行われているの?
A. 各地の俳句会や文学サロンなどで、非公式に朗読会や勉強会が開かれることがあります。
Q3. 秋元不死男の俳句はどこで読める?
A. 代表的な句集に『甘露集』『万座』『街』などがあります。図書館や一部の俳句アーカイブで閲覧可能です。
甘露忌(7月25日 記念日)のまとめ
甘露忌は、俳句界に優しさと強さを残した秋元不死男の命日。
その俳句は時代を越え、今を生きる私たちにも、日常の中にあるかけがえのない瞬間を教えてくれます。
たとえ言葉が少なくても、人の心に届く力がある——
それを信じ続けた秋元不死男の魂は、これからも多くの句に姿を変えて生き続けるでしょう。
今日は何の日(7月25日は何の日)
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